スマトラ沖地震にともなう被災者への支援プログラム
(スリランカ東部地域トリッコーウィル、南部地域カラマティア)
現況
インドネシア沖で起きた地震のため大規模な津波が発生しました。スリランカ時間の12月26日9時ごろ(日本の11時)一回目の津波が東海岸、南海岸を中心に発生しています。政府発表では3000人以上死亡。50万人以上が影響を受けていると言うことです。
クリスマス・年末休暇中と言うこともあり、多くの外国人が訪れていた地域(南、南東海岸)も被害を受けています。まだまだ、状況が明らかになってきていません。日本人の旅行客も多数いると言う情報もあります。
私のいる地域は、北中部(内陸部)であり、今回の津波の被害は全くありません。ひとまず無事と言う報告までに。 ご心配頂いた方ありがとうございます。
被害状況が明らかになるにつれ、いかに凄い津波だったのかと言う事が分かってきました。死者数は日本の報道でも流れていると思いますので、具体的な数字は省略します。一番被害が大きかったのは、東海岸。海沿いには、比較的貧しい人たちが住んでいる事が多く、家の作り方もしっかりしたものではないので、より被害が大きかったようです。そして、子ども、女性が逃げ遅れ、または泳げなくて亡くなったようです。日中は気温が30度を越えるので、遺体の腐敗がひどく、誰かと言う確認もないまま、土を掘り埋めているのが現状のようです。(TVで流れていましたが、言葉が出ませんでした・・・)
また、北東部はLTTEの支配地域であり、それが情報収集の妨げになったりとうまく救援活動がすすんでいないようです。救援物資が末端部分へ届いていないという報告もありました。
南、南西海岸も大きな被害があったものの、比較的、救助・救援活動がスムーズに入っているようです。被災地の多くの場所で、食料を配ったり、衣料品を配ったり、コロンボなどの街では救援物資を送る準備など、全てがボランティアでおこなわれています。みんな、助け合っているという事が一つの希望でもあります。その裏側で、それほど被害を受けていなくても援助物資をもらったり、詐欺行為をしたり、壊された家、店から物品を盗んだりと悲しい出来事も起こっています。南部の方では、夜間外出禁止令が出されています。
4日間が過ぎ、生存者はほとんどいない現状です。現在、最も心配されているのが、生き残った人たちが、感染症などにかかることです。被災地では、いたる所に水がたまり、ゴミがたまり、衛生状態が悪化する一方です。我々に出来ることはほんの小さなことですが、コロンボ近郊でも、比較的手が届かない所へ行き、瓦礫を片付けたり、側溝を片付け排水設備を確保したりと言う事をしています。役所などのアレンジ能力が低いので、「マンパワー」がどうしても不足のようです
活動指針
活動概要
グリーンムーブメントからの報告によると、被災者の多くが漁師として生計を立てていた人々で、仕事をいち早く再開する事が非常に重要なことであるという観点より、舟・櫂・網の漁労セットの支援を行います。
また、南部地域ハンバントタにおいて両親を津波でなくした大学生(一人)に対して、彼女が学業を続けられるようにと下宿費の支援も行なう予定です。
受益者
東部地域トリッコーウィル漁師10人
南部地域カラマティア漁師7人
両親を津波でなくした大学生
目的
生計の確保
教育費の緊急支援
活動内容
実施期間
2005年3月
活動計画
1 「漁師への生計向上プログラム」
ボート Rs.38,500/1艘(南部)*7艘=Rs.269,500
Rs.42,000/1艘(東部)*10艘=Rs.420,000
南部、東部とでは以前から使っていた船の形が異なり、以前使っていたものを作って渡したため、費用の違いが生じました。
オール(櫂) Rs.4,250/1セット*17セット=Rs.72,250
ネット(漁労用の網) Rs.30,000/1個*17個=Rs.510,000
「漁師への生計向上プログラム」 計(Rs.1,271,750)
2 「学業継続支援プログラム」
住居費 Rs.3,000/1カ月*22ヶ月間(卒業まで)=Rs.66,000
「学業継続支援プログラム」 計(Rs.99,210)
教育プログラムは、数年にわたって続くプログラムであり非常に重要なプログラムです。しかし、多くの援助団体は『結果』が見えにくいという事で、あまり手を付けたがらないプログラムでもあります。教育の機会を保障する事は、非常に大切であると思いますので、今後も少しずつでも義援金を集め支援を続けたいと考えております。
カウンターパート
より、効率的な支援のために、Green Movement of Sri Lanka(グリーンムーブメントオブスリランカ)へ全額を寄付いたしました。
(この支援をきっかけに、2004年より当会のスリランカで活動に対してカウンターパートとして協力を得たり、GMSLの若手スタッフの人材育成等に協力をしたりと相互の協力関係を維持している。スリランカ国政府認定NGO)
メンバー
石川 直人(現地コーディネーター)
予算
142.8千円
ご寄付いただきました皆様にこの場を借りて感謝申し上げます
活動報告
進捗状況
終了
活動報告レポート
上記、活動計画通りに終了いたしました
担当者レポート
当プロジェクトのレポートではありませんが、当時の被災地の様子そしてそれに関わった石川の日記を掲載したします
今日も被災地の瓦礫除去作業の手伝いをしてきました。少しずつ住民も帰ってきて、現状を見て呆然としつつも、必要なものを探したり家の原型がある人たちは家の中を掃除したりとしています。 JICAはひとまず安全第一という事で、協力隊員になにもやって欲しくないようです。組織の体制に疑問を思いつつも、組織の一員として動いています…。緊急支援、2次的な支援、復興支援等色々な形の支援があるので焦ってもしょうがないのですが(笑)。
ふと思いついた事を書いてみました。
・被災地の市役所に日本からの救援物資が届いたようだ。直接中身を見ていないのでよく分からないが、食料などが入っているようだ。市役所職員は当然日本語が読めるわけもなく、賞味期限を確認するのも難しい。『もの』を送る援助は非常に注意深く行なう必要がある。
・こちらで哺乳瓶などが不足という情報が流れると、多くのスリランカ人は哺乳瓶を買いに行き、援助機関に寄付する。スリランカにいる人がこういう行動をするのは特に問題はないと思う。ただ、これがもし日本(または外国)に住んでいる人が哺乳瓶を集めて送るとしたら??当然、ばかげた話である。スリランカに全く哺乳瓶がないのであれば話は別だが…。その哺乳瓶の金額と、送料とをあわせたら、こちらで数倍の数の哺乳瓶が買える。
・ふと、バングラディシュを旅行した時の事を思い出した。大きな市場をふらふら歩いていてふと目にとまったものが大きなダンボールに書かれた日本語。『援助物資(セーター等)』と書かれたダンボールの隣にはたくさんの衣類が格安(日本の感覚で)で売られていた。
・政府が外国からの医師団などの受け入れを断っているという話を聞いた。よく聞いて見ると、受け入れると、彼らの宿泊地、移動手段の手配等が非常に難しいとか…。それであれば、スリランカ人の医師を送ったほうがいいということなのだろう。
・よく言われることだが、ボランティアをしに行って、逆に邪魔をしてしまう事があるようだ。スリランカ政府の調整能力の問題も確かにあると思うが、援助する側はもっと、よく考えて行なう必要があるようだ。
・一週間が過ぎ思うのは「焦ってモノを援助する必要はない」ということだ。わたしに出来ることは何か?しっかり見つめ考える必要がある。
約3週間ぶりにアヌラーダプラへと戻ってきました。小雨が降っていたせいか気温も低く非常にすごしやすい一日でした。
オフィスに行くと「もう日本に帰ったのかと思ったよ」なんていう人が多く、何をしていたのかの説明をひとしきりするのが今日の仕事でした。
これだけ時間がたつと『津波』の事はやはりもう過去のことのようになってきています。スリランカ人も熱しやすく冷めやすいのか、それとも何をしたらいいのか分からないのか、災害のことはいまいち話題になっていませんでした。
彼らにも日々の生活があり、直接関係がない事にはそれほど関心がないのかもしれません。こんなに離れた街でも津波の影響があるようです。ある学校では生徒が何人かいないそうです。26日は休みであり、親と一緒に南の街に行っておりそのまま津波に巻き込まれたとの事。まったく、連絡が取れない生徒もいるとか。
今日の夜、ある友達から電話がありました。彼が住んでいるのは内陸なので全く問題ないと思っていたのですが、彼の実家が南の街だと言う事をその電話で知りました。親戚32名が亡くなったとのこと。言葉が出ませんでした・・・。
まだまだ被害は拡大しています。
津波から14ヶ月が過ぎてしまいました。被災地ではまだまだ津波災害の風景が残っていますが、人々は復興に向け確実に進んでいると思います。写真は、スリランカ伝統漁法の現場です。まだ、津波の影響で魚が少ないと漁師の方は語っていましたが、津波で流された杭を立て直して漁が再開されているのは事実です。
津波被災地より
私が関わりを持っているNGOでは毎日のように様々な救援物資が被災地へと送られる。この物品管理を担当しているのがキールティーさん。災害翌日から、現在に至るまで彼はオフィス(オフィスの一部を倉庫代わりに使っている)に軟禁(?)状態である。毎日のように現場から上がってくる要望をもとにリストを作り、購入担当者が検討して買ってくる。荷物を運ぶトラックを手配し、大抵夜に荷物を積み込み被災地へと届ける。
被災地で働くスタッフは当然ながら様々な要望をあげる。いくつものサブオフィスがあるので、それぞれの場所とのバランスなどを考えながら振り分ける必要がある。もし、大規模な倉庫やトラックなどがあり、莫大な予算があればひたすら送り続けるだけだからそれほど考える必要はないかもしれない。それが、良いか悪いかは別として・・・。彼らのNGOはそんな設備や予算はない。
様々なことに気を配り正確に物を配っていくのは相当疲れる仕事であろうと思う。ただ、いつもスポットがあたるのは被災地の『現場』で働く人々である。先週彼と荷物の仕分けをしている時彼がボソッと「俺も現場を見たいんだけどな・・・これが俺の担当だから・・・。」といっていた。
きっと、他のスタッフの話を聞いたり、写真を見たりしているので、被災地の事が気になる、『現場に行きたい!』という思いがある。私は、すくなからず彼の気持ちが分かる。「あなたがいなければ救援物資は被災者の手に届かないよ、重要な仕事だよ・・・」と彼に言った。ありきたりの言葉であったが、私の本心でもあった。裏方でがんばっている人がたくさんいる。被災地だけが『現場』ではない。支援に関係する全ての人が『現場』にいる。私も常に『現場』にいるのだろうか・・・。
津波発生よりちょうど4週間が過ぎた。コロンボから南に200キロほどのタンガッラに来ている。海岸沿いの家々がみな破壊されて、以前は道路から見えなった海は今ではきれいに見える。海は何事もなかったように静かに波を寄せているが、被災者たちの状況はまだまだ大変である。
全体的に瓦礫の撤去などは進んでいるようにみえる。土台だけ残った所にテントを張って避難生活をしている人も増えてきている。これは、避難所を少しずつ解消していっているのも大きな背景であろう。避難所での生活にストレスを感じ、自分の『家』(土地)に戻って来ているという理由もある。
被災地では積極的に学校を再開しようとしており、多くの学校が25日に始業式を考えている。多くの学校が避難所として使われており、政府としては、どこか別な避難所を作ったり統合してりして、被災者をそちらに送る準備をしているようだ。
ただ、完全に家が破壊され一時的にすら家に帰る事が難しい人も多く、我が家があった所に帰れない人は、避難所の解消とともにさらに不便な所などへの移動を余儀なくされるであろう。
政府の決定では、海から100m圏内は家を建てるのを禁止。すでに、ゴールなどではこの決定への抗議運動などもおきている。非常に難しい事かもしれないが、一律の決まりを作るのではなく、地域ごとで状況ごとで決まりを作るなどの配慮が欲しい。