スリランカより

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更新日 2014-06-02 | 作成日 2008-04-14

地滑り被災地区の紹介

2009.12.31

12月22日に活動地の一つであるスリランカ中部州地滑り被災地移転地区に行ってきました。
その際の映像をご紹介します。(ishikawa)

↓以下のページからご覧になれます

LinkIcon地滑り被災者移転地区の今 (別ウィンドウ・タグで開きます)

家庭菜園とコンポスト

2009.12.28

12月上旬に活動地の一つである南部州インド洋大津波被災者の移転地区で家庭菜園の様子を撮影してきました。(ishikawa)

↓以下のページからご覧になれます

LinkIconキッチンガーデンとコンポスト (別ウィンドウ・タグで開きます)

津波から5年

2009.12.26

先日、NHKラジオの取材協力のため、南部マータラ県の津波被災者の女性を訪ねました。当時妊婦だった彼女は、2004年12月26日の朝も普通どおり起きて、子どもたちの世話をしながら、朝のひと時を過ごしていました。夫が漁師のため、海から20mも離れていない所に家があり、その家の前に、漁師たちを相手に小さな食堂を開き、子どもたちへ良い教育を受けさせたいと頑張って働いていたそうです。

そんな家族を津波が襲いました。津波が来た時、家の中には彼女と、お父さんお母さん、妹とその息子、足が不自由な兄と末っ子の息子がいたそうです。家の中にいた人で助かったのは彼女だけでした。
外にいた息子二人と夫は内陸の方へ走って逃げて何とか助かったと。

「何も出来なかった・・・」自分がどうやって助かったのかも不思議だと。
「せめて子どもと妹を助けたかった・・・」彼女は当時の事を思い出し、目に涙を浮かべつつも静かに語ってくれました。津波の翌日、彼女は男の子を出産、亡くなった息子の名前を赤ちゃんに命名したそうです。

その男の子も今年で5歳。幼稚園から帰った彼は、元気よく家の周りを走り回っていました。

今まで色々な所から取材を申し込まれたけどずっと断ってきたとか。
やはり彼女の中ではまだまだ「昔」の事ではないのでしょう。しかし、今回は仲の良い知り合いから頼まれた事と、最近自分の中で区切りをつけられたので取材を受け入れてくれたそうです。
「もう自分で感情をコントロールできるようになった」と、3人の子どもの母である彼女は笑顔を見せてくれました。母、強しです。それでも、昔の家があった場所にはまだ一度も行っていないとの事。「あそこには行きたくない」と彼女は呟きました。

津波後の援助によって建てられた家は、内陸に2Kmの少し小高い所にあります。
2つの部屋と居間と台所。昔の家と比べるとだいぶ小さくなったけど、それでも、家をもらえた事に感謝していると。そこで、子ども3人と夫と共に生活を送っている彼女は、少しでも家計の足しになればと考え、軽食を作って近くのお店に売っているそうです。それでも、以前の収入に比べると3分の1だとか。教育費を捻出するために何とか収入を増やしたいと小規模融資のプログラムにも積極的に参加して、夫の漁を効率よくするための漁網の購入もしました。『前向きに生きて行くしかない!』
という彼女の思いがひしひしと伝わってきて、なんだかこちらも元気が湧いてきました。

あの日から5年が過ぎたのか~と私自身も不思議な気がしてなりません。
津波がなければきっと始まらなかったこのアプカスの活動。そう考えると、津波が与えた私(我々)への影響も大きかったなと改めて考えていました。

津波を通して、色々な事を考えさせられました・・・(まだ現在進行形かも知れません)。
緊急援助・復興支援・地域開発など、外部の人間がどのように係るのがベターなのかもっともっと議論し学習していく必要があるなといつも思っていますが、あまり実行できていません・・・。

5年が過ぎましたが、未だ津波による様々な影響で苦しむ人びとがいるのも事実だと思います。
そんな人びとにいち早く安らぎが訪れる事を願うのみです。

2009年12月26日・大雨のコロンボにて(ishikawa)

マルチアクターサミットin 函館に参加して

2009.12.19

PC190481.JPGNPO法人アプカスは今回のホームタウンである函館開催ということでお誘いいただき参加させて頂きました。
小さな団体で業務に追われ、なかなか対外的なこと、研修にまでに手が回らず、今までこういった国内のワークショップにあまり参加できずずに活動を進めてきました。日本のNGOセクター(パルシックやスランガニ基金)やJOCV、研究者などのスリランカに直接関わっている日本人とは、密に連携を取りつつ活動を行ってまいりましたが、私以外の常勤スタッフはスリランカにいますので国内に関しては正直手薄であると思っていました。

その上で、今回マルチアクターサミットに参加させていただき、

まず初めに
IVYさんやシャプラニールさんのような農村開発分野の大先輩にあたるような方々とまずお話ができたということがとても大きな収穫でした。NGOならではの現場の視点が、お二人の発言・姿勢の中に垣間見ることはができ、大きな刺激と共に、フィールドは違いますが、これをご縁に今後とも色々教えていただけるような関係をを築ければばなぁと思っております。婚活パーティでいえば、会場で同じ出身の学校の大先輩に会ったようなものでしょうか(笑)?

ここまでは想定の範囲内でしたが、

従来の国際協力へ資金量の確保は、昨今の国家財政の状況からも、先細り傾向が続くというのは、皆さんに共通する認識であったのは、いい意味で想定外でしたし、それこそがこのワークショップの開催理由でもあることに気づくのに時間はかかりませんでした。

私がこの3日間のワークショップを通し、直接話した方、話せなかったけれど発表や会話を聞いていて思ったことは、みなさん逞しいなぁと、しかも自分の資源を惜しみなくさらけ出してくれるなぁというものです。

教育機関、行政、学生さん、NPOセクターの方を含め、多くの参加者が、資金獲得が大変であるという前提で、継続的な資金を確保するために、いい意味で、いかに合理的にアピールしていくか?という資金調達に関する戦略的な考え方、一種の商人魂を持ち合わせていたという事実は、大きな収穫でした。
(秋田商業の太田先生=公務員の方が、本の営業をガンガンするというのは、ちょっと驚きでした(笑)。もちろん昨日購入させていただきました。)
なんとなく、こういうワークショップでは、昨今の状況からお上から資金が来ないという愚痴で終わってしまう感じがしましたので、従来のように資金的には潤沢にない傾向の中で、どうやって新たなアクターを巻き込んでいくか、どうそれぞれの事業をアピールするかという視点がすでに皆さんに備わっているなぁと、非常に前向きで、心強く思いました。

そういう姿勢を持った人々が、違い所属や背景を持ちつつお互いの資源を出し合った時のパワーというのは、きっと上から資金をもらうというだけではなく、新たなマーケットや資金面の開拓、技術協力をもたらしてくれるはずです。なんかその可能性や将来性を強く感じました。

また、もう一点。
モモンガクラブの吉元さんや北大の吉村さんとの会話で、印象的だったのは、改めて国内・国外間における国際交流、国際協力の意義とは?効果とは?という問いでした。
短期的な成果が少なく無駄も多い、失敗も多々ある、必然性はない・・・改めて言葉にすると、ほんとうにその通りだなと。私自身の数年を振り返っても、逆に深く関われば関わるだけ、そのような大きな問いになると、わからなくなるといった感じです。

私自身もまだ答えがありませんが、ただ、純粋に違う文化の人と繋がるということは、楽しいということ。こういったミクロなところに立ち返る必要があると思っています。
今回の「マルチアクターサミット」も、背景や所属の違う人々との交流でした。私は、きっとこれこそが、国際交流や協力の醍醐味なのではないかと。純粋に違うものを知ったり、繋がったり、共有することは、楽しいということ。これこそ、国際交流、国際協力の意義とは?という重要な問いの答えのベースなのかもしれません。

マルチアクターサミットは、私たちの団体にとっては、まさしく初参加の婚活・お見合いパーティそのものでした。
きっと、パーティー後ののフォローアップこそ、よい結婚への近道!?のはずです。まずは、もう少しさらにお互いを知るといったところから始めていければ面白いですね。
私達のアピールできる点は、歴史や実績はまだまだですが、スリランカという実際のフィールドと広範な現地コネクションがあり、小さいながら比較的若い世代の小回りのきくNGOであるということでしょうか?

私達は、北海道のみならず、東北に婿入りする覚悟もありますので、今後の積極的なアピールと情報交換等何でもお待ちしております(うちに実兄も山形に婿入りしていますので(笑))。

また、JICAのスタッフの方もそれぞれ皆さん個性的で、親近感が沸きました。
これも大きな収穫です。

実りある機会を与えていただいたこと感謝いたします。(ito)

※婚活パーティになぞらえているのは、ワークショップの冒頭で、異業種の集まりということもあり、「なんかお見合いパーティみたいですね」という参加者全員のコンセンサスがあったからです。私のプライベートとは関係ありませんので、あしからず、ご了承ください(笑)

Living in Sri Lanka after the war.

2009.11.11

War is over in Sri Lanka. But has the benefit of it really gone to the citizens?

These days we are as the people of this small island living with lots of hopes. That is because one is the much waited rainy season has arrived and the other is money spent on war is over. But the economy is still on a slow journey.

After the war according to the normal people the money spent on war can be diverted to the investments of the country to generate more jobs and increase the income of the people. And also the development of the basic infrastructure in the country is not happening at a speed as we expected.
Meantime the workers of the Petroleum Corporation, Electricity board and the Water board are demanding a wage increase threatening the government of a possible strike. Still the government has not given a proper answer on it.
The prices of fuel and essential food items are rising affecting the all levels of the people.

Due to these reasons the people’s confidence on the government is loosing drastically. That can lead to a bad situation in the country. At this moment all Sri Lankans have to take wise decisions forgetting the parties, colors and personal disparities.

Unite we stand, Divide we loose. Good luck Sri Lanka.(Vajira)

2009.11.10

人間は動物より頭がいいと言われます。
どんなに頭がいい人でも他人の痛みが分からない人なれば、決して頭がいいとは言えないのではないでしょうか?

私の近くに住む家で飼われている犬は、年をとったせいか体も弱く、いつもせきをしています。犬に対して、その家の人々の関心は薄く、エサもほとんどあげず、雨にも関わらず外に出したままです。それでもその犬は、家から離れて行きません。

ある日曜日の午後、その犬が痛々しい声を出しながら私の家の方に力なくやってきました。
見てみると…犬の足から出血していたのです。その姿は、とても痛々しく、しばし犬の顔を見ていたら、思わず悲しくて涙が出できました。

その後、理由を飼い主に聞いてみると、洗濯した服が干している最中に落ち、その上で犬が寝ていたという行為を叱って石を投げたとのことでした。そのせいで、犬は足にけがを負ったのでしょう。
「この愚かな犬は私の服を汚した。またこんなことをしないよう躾のために叱っただけだよ」と話す彼の顔は、私にとって嫌悪感を抱かせました。しかも、彼は先生と呼ばれる仕事をしている人なのです。

何日間か経過しましたが、あの犬の泣き声と痛みの顔を私は忘れられません。
足を引き摺りながら歩いている犬を目にするたびに、飼い主の顔を思い出します。社会的には「先生=立派な人」かもしれないですが、人間としては決して尊敬はできません。

残念ながら、年老いたあの犬に声をかけて、頭をさわることしか私にはできません。でも、その瞬間、犬は喜んでいる顔をしてくれます。
動物も生きていきたいと思っているはずですし、人間と同じように寂しさ、うれしさ、悲しさ動物にも感じているように私には思えます。そういった配慮をこの国の人々がもっとできるようになれば、本当にこの国は成熟したと思えるのだと思います。

人間によって、苦労している動物たちがこの世の中にたくさんいるでしょう。動物は言葉を話せない分、私たちの想像力と配慮が必要なはずです (Devika)

テロの脅威はなくなったけど・・・!?

2009.11.05

朝、いつも通り家を出発して、通りに出ようとしたら妙に道路が混んでいるのです。
今日は土曜日だから普通であれば道路は空いているはずなのに、何かおかしいなと思ったところ、その原因が分かりました。何と、道路わきの空き地が警察の立ち入り禁止のテープによって囲まれていて、警察やパトカーそして野次馬が群がっているのです。
そのため道路が片側通行に近い状態になっているのです。横目で現場を見たのですが、乗用車が空き地の奥の塀に激突しており、フロントガラスは大破。車の周りには、靴などが散らばっており、その横で警察が盛んに写真を撮っているのです。バイクを止めて何が起こっているのか聞こうとも思いましたが、雨も降り始めてきていたので、事務所へと向かいました。

昼にネットでニュースを見てみると、「発砲事件があり2名が負傷した」書いてありました。
詳しくは書いてありませんでしたが、たぶんマフィアの抗争ではないかということでした。
事件は早朝起きたようですが、銃声が聞こえたわけでもなく、朝外に出て初めて気がついたのですが、家から徒歩数十秒の所で起きた事件、さすがにあまり良い気分はしません。

先日別なニュースで、「内戦の終結後、テロは無くなったが犯罪発生率は上がっている」というのを目にしました。確かに、日々のニュースにもマフィアの抗争だの強盗による殺人などの物騒な話題が多くなったような気がします。今までは、特にコロンボ市内では警備に当たる軍人が沢山いたため、それが犯罪の抑止力となっていたのでしょう。

また、警察の“暴走”も目立っているように思えます。ある警察署の署長の浮気相手をからかったとして、若者二人を別件逮捕されました。彼らはマフィアだったという話をでっちあげて最終的には署内で殺されてしまうという事件がありました。また、言うことを聞かなかったとして、浜辺で若者を拘束し、警察が木刀で殴りつけて溺死させるという事件も・・・。

汚職は当然ありますが、それ以上の犯罪に警察自らが係っているのにも、内戦終了が関係していると言う人もいます。軍の力が弱まっている分、警察へその権力が移行しているから、警察が調子に乗っているという分析です。

真相はどうであれ、事件が増えているのは事実であり、テロからの脅威は過ぎ去っても国家権力の脅威?に市民は怯えると言う状況になりかねないのは非常に悲しい事です。

はたしてどうなるのでしょうか???(ishikawa)

厳しさの中の優しさ

2009.10.11

子供の頃、祖父と祖母は私に
「ご飯全部食べなさい」、
「きちんと勉強しなさい」、
「テレビを見ないで」
などといつも厳しく言っていました。日本でも、きっとこういう厳しい躾を受けた人も多いのではないでしょうか?

その時は、「何でこの二人はそんなに厳しいのかな」と子どもながらに思ったものでした。

今は、様々な経験を経て、その厳しい言葉の中に
「たくさん食べて早く大きくなってね」、
「よく勉強して社会で立派に活躍してね」
「テレビばかり見ると目がわるくなったり、勉強の邪魔になったりするよ」という本当に優しい気持ちが、詰まっていたのだと考えるようになりました。

ある日突然、「もうこれ以上、両親と住めないわ!」と友人から電話がかかってきました。彼女が最近遅くなって帰ることが多く、両親から叱られたとのこと。私は、少し気持ちが落ち着くのを待って、彼女に「では、あなたが母親だったら、どうするの?」と聞いてみました。

彼女が両親の気持ちが分かってくれたら幸いです。両親は子供の事を非常に心配しているのだと思います。だからこそ、彼らは厳しくなるのです。いつか子供もそれをきっとわかるのだと思います。

私も子供の頃と違って、厳しさの中にある優しさが分かるようになりました。

そんな今、「おじいさんとおばあさんの気持ちがちゃんと分かったよ。ありがとう!」と伝えたいです。でも、もう遅いのです。なぜなら、二人とも数年前に亡くなってしまったからです。(Devika)

相手の喜び

2009.08.10

Article-Pic.gif「スリランカ人はあまりありがとう、ごめんなさいとは言いませんよね。それはどうしてでしょうか?」スリランカで暮しているある日本人に尋ねられた時、すぐに答えが出ませんでした。

それ以来、このことについて、自分で考えるようになりました。

「人にいいことをすれば、来世がよくなる」といった徳を積むという仏教の教え方がスリランカには根づいています。なので、例えば、私が誰かに何かをしたとしても、別に相手は言葉で「ありがとう」とお礼は言いません。なぜなら、相手は、私に徳を積ませてあげたと考えてしまうからです。

もちろんこういった考え方のスリランカ人ばかりではありませんが、私は日本人と働く機会が多いので、そのギャップがよく見えるようになりました。

今私は、よい人間関係を築くには、言葉は一番大切だと思います。相手によい感情を持ってもらってこそ、人間関係をうまく続けられるはずです。

助けてもらったら、感謝の気持ちを相手に表せば、きっと喜んでくれるでしょう。
ミスがあった時に、きちんと謝れば、相手もきっと許してくれるでしょう。
それで、大体の問題は起こらないのではないでしょうか?

確かに、日本人と比べるとスリランカ人は挨拶が苦手だ。
でも誰でもすぐ助けてあげたり、にこにこし相手を幸せな気分にさせる素敵な人々もきっといるはずです。
誰かを笑顔にさせること。それは人間にしかできません。
そのため挨拶の仕方、言葉の表現をもっと学ぶ必要があると最近強く思います(Devika)

山あり 谷あり

2009.07.10

最近は朝6時半ごろにメールを確認することから一日が始まります。

以前、助成金の結果が連絡が来る時期などは、このメールの確認をする時にとても緊張したものです(笑)。試験の合否通知を受け取って開封する時の気分でメールを開けて、一喜一憂したものです。

最近は、そんなメールが来る時期ではないので、朝のメール確認で緊張することはありませんでした。そんな中、朝メールをあけてみると、「会員登録希望」のメールが2通も来ていたのです。会員の募集を始めたのもつい最近で、特に宣伝を行っていない我々の場合、なかなか会員になってくれる人もいなく、一度に2人の方から「会員になりたい」と連絡が来たことに本当に驚くとともに、素直に喜びが込み上げてきました。

やはり、我々の活動は周りの人に支えられているのだな~と感じ、よっしゃ頑張るか~と気合いを入れなおして事務所へと向かいました。

朝から気分よく仕事を始めていると、事業地にいる担当者から電話で、ちょっと問題が起こっていると・・・。地滑り被災地で被災者が移転した所での問題でした。移転した所には車輛が入れる道路もなく、移転者はもちろん、村人も道路の建設を切望していたという背景の下、住民がお金を集め、行政も支援して、道路を作るという計画が持ち上がりました。

そして、そこに我々からの支援もして欲しいとのことでした。行政からの許可取得を理由に支援を決めました。その後、工事が始まったのですが、予定より費用がかかり、すべての道路を完成させることができなかったと報告を受けていました。他の団体が、続きの工事を行うという話だったので、あまり気にしていなかったのですが・・・。

担当者が、「受益者の一人が石川と話したいと言っているので電話を変わります」と。
何かと思い話を聞き始めると、開口一番、「アプカスが道路作りの支援をしているのだから、私の家まで道路を完成させるべきだ!道路がないと、建設資材の搬入も難しくて、余計な費用がかかるんだ。だから早くして!」と抗議されたわけです。

はじめは、「道路が途中まででも出来たことは、あなたにとっても良いことでしょう?今まで、車が入る道路まで歩いて20分かかるのが、10分に短縮したでしょう?しかも、他の団体が続きの道路も作ると言っているじゃないですか?」
と話をしたのですが、彼女は文句を言うのみで、聞く耳を持たないので、さすがに頭にきて

「もういいですよ。あなたが文句ばかり言うなら我々はすべての支援から手を引きます。
別に我々は、その地域を支援する義務はないので。もっと、気持ちよく仕事ができるとこに行きますね」
と言ってしまいました。

後で、担当者からは「石川があの言葉を言ったのは良かったと思う。そうじゃないと、受益者は我々が『支援して当然』だと誤解しているから・・・」
と言われましたが、やはり、ちょっと言い過ぎたかな~?もっと良い言い方があったのでは?そもそも、誤解を生まないように道路作りを行う方法があったのではないか??と色々と考えることになりました。

そんなこんなで、せっかく気持ちよく始まった一日が、一転してどんよりした気分の一日になってしまいました。
一歩進んで二歩戻るではありませんが、気分も仕事も山あり谷ありの日々です(笑)(Ishikawa)

地滑り被災地を訪れて

2009.07.02

アプカスで仕事を始めてから、ヌワラエリヤのワラパネ村の地滑り被災地に初めて行ってきました。

私はスリランカに住んでいても今まで気がつかなかったスリランカ国内の問題を、実際に目にする事になりました。

先日、仕事で初めて地滑り被災地を訪れた時のことです。地滑りにあったワラパネ村の人々の生活の厳しさを知り、その大変さに比べると、私は今まで小さなことに悩んでいたと感じました。住民は、一生懸命働いて手に入れた全てのものを、地滑りのせいで失ったのに、またゼロから生活を始めて、生きるために努力していました。それを見て、私ももっと、強くならないといけないと感じました。

皆さんは一日水がなかったらどうなるかと想像してください。
その生活はとても大変でしょう…。

その村では、十分な水すらないため、飲み水の確保だけにも長い道のりを歩かなければなりません。その中で子供たち、妊婦、お年寄りがいる家族はさらに大変な状況が続いているのです。

被災者が抱える課題は山積みです。だから、そのような人々の生活が少しでも良くなるように、我々は頑張っています。そして、ワラパネの人びとが、どんなに苦しさがあってもあきらめないで、努力していることは、すごいと思います。

また、いつも我々と協力してくださる日本の皆さんにもこの場合をお借りして心から感謝申し上げます。(Devika)

街のタイヤ屋さん

2009.07.01

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いろんな車、スリーウイラー(バイクに屋根と後ろに
ベンチをつけた、小さなタクシー)も
タイヤ交換に集まってくる。
コロンボ近くの、小さいけどにぎやかな街
暑い、、、(setsuko)

スリランカ大学生活 先輩と後輩

2009.06.25

“いじめ”と言えば、たぶんみなさん嫌な感じをするかもしれません。でも、スリランカの大学では、ちょっとした“いじめ”を通して新入生同士・先輩との関係をつくる習慣があります。正確にいうといじめではないと思いますが…。そんな、“いじめ”のいくつかを紹介したいと思います。

まず、新入生は、大学に入って最初の2ヶ月間ぐらい先輩のもとで、生活します。

まずは、みんな一緒に食事をするのはその一つのことです。
食事に座る時、仲間同士と座るのは禁止されています。男と女同士一緒に座って、男の学生が女の学生を食べさせるのは習慣になっています。その時、「マイ.スイートハート、全部たべなさいよ」と言わなければなりません。

大学のいじめの期間が終わったら、恋人同士になる?可能性もあったりします(ちなみに、デートは、眺めのいいプールサイドや公園でした)

もう一つの面白いことは、スリランカでは、「パパダン」という食べ物をご飯と一緒に食べます。
日本にある餃子の皮に似ている物で油で揚げて食べます。それを食べる時、音が出します。
でも、音が出さないようにパパダンを食べなければなりません。それは、なかなか難しいことで、パパダンの音を出すと「音が出さないようにパパダンがたべられない君は大学に合わない」と先輩からしかられます。

また、食事が終わってから、手を洗うのもだめです(スリランカでは手を使って食事します)。
その代わりに、手をなめなければなりません。初めは、少し嫌な感じがしましたが、慣れたら本当に面白いこと(?)だと感じはじめました。ちょっと日本の方には理解できないかもしれませんが(笑)

いじめで大学を辞める学生が以前は多いようでしたが、現在は、そのような面白いことを経験する大学生は「大学に入ってよかったね」と言う人もたくさんいます。
そのようなたくさんいい思い出が大学生活の中にありました。今は卒業して、四年間の大学生活を思い出すとなつかしい感じがします。(devika)

悲しい出来事

2009.06.17

はじめて彼にあったのは昨年の10月頃だったかと思います。
僻地における教育の実態を調査するために、その学校を訪れた時のことでした。

彼が教鞭をとる学校は、僻地の中の僻地と言える場所で、町からのバスは1日二本。それも、故障などにより運行されないことがしばしあり、バイクなどを持っていない先生は学校に通うことも難しいという状況でした。
そのような地域では、本当であれば、教員住宅が完備されるべきなのですが、そこまで整備が進んでいるはずもなく、多くの先生は、その学校に勤務となってもすぐに転勤してしまうのだと、校長先生が語っていました。学校も、屋根が壊れ雨漏りがひどく、床なども穴ぼこだらけ・・・。しっかりしたトイレもなく、当然水道もない。教室も足りないため、1つの部屋の中に4つの学年が一緒に学ぶ状況でした。

教師になって3年目の彼は、学校のこれらの問題を何とか解決したいと、我々の訪問を歓迎し、色々と話をしてくれました。我々も約束はできないが、何とか支援事業ができるようにがんばると話をしてその学校を去りました。その後、申請していた事業が許可され、今年の4月から事業を行い始めました。

事業が許可されたことに彼は本当に喜んでくれて、村全体で協力するように働きかけを行い、その事業のキーパーソンとなり、まずは、事業の計画作りを行い、活動を進めようと先月の会議の時に張り切って話をしていました。

その矢先、彼は交通事故にあってしまったのです・・・。意識がない状態が10日間ほど続き、そして2日前、息を引き取りました。

彼は、休日に街に出て、近くに迫っていた自分の結婚式の会場を見に行った帰りに車と衝突したとのこと。事故の報告を聞いた時に「なぜ彼が!・・・」、意識がないとのことでしたが、きっと回復するとどこかで信じていました。

昨日、亡くなった報告を聞いて、何の言葉も出てきませんでした。これから、彼と一緒に子どもたちのために、学校のために、村のために活動をしようと思っていたのにと・・・。

彼のご冥福をお祈りいたします。

法律改正!シートベルト着用義務

2009.06.14

交通警察の発表によると、シートベルトの着用義務の法改正を行うとのことです。

ん~これはかなり思いきった法改正だなと思います。もしも、本当に施行されると・・・。

警察によると、違反した場合、1000ルピー~4000ルピーの罰金を科すそうです。
当然この法律はスリランカ中の全ての車に適用されるわけですので、そこで問題が!
というのも、スリランカには、日本の様な厳しい車検制度がないため、かなり古い車もいまだ活躍しています。そんな多くの車には、シートベルトそのものがないもの多いわけです。警察の発表では、このような古い車のオーナーにはシートベルトの設置義務が生じると。シートベルトをつけるのにいくら位かかるか分かりませんが、オーナーは頭が痛いでしょう・・・。また、バスやトラック(特にインドTATAのトラック)などにはシートベルトなんてついていないですし、付けたとしても運転手が慣れるまでに相当な時間がかかるのではないかと思います。

まあ、安全が強化されるのは良いとおもいますが・・・。スムーズに浸透するか??ひと波乱ありそうです・・・。(ishikawa)

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「海外ボランティアとは?」JICA函館ワークショップを終えて

2009.06.14

今回、海外ボランティアというテーマで、お話させて頂く機会をいただきました。

日本語でボランティアというと「無償で」「自発的に」といったイメージがあります。その言葉の前に「海外」がつくわけですから、海外での無償で自発的な活動への従事というのが、直感的なイメージなるかもしれません。

「海外で」かつ「無償」かつ「自発的」ということではなく、そのひとつでも当てはまる人をボランティアとしてした上で、少し私自身が出会った様々な「ボランティア」についてお話したいと思います。

私たち特定非営利活動法人アプカスは、日本人の常勤スタッフが函館とスリランカに1人ずつ、スリランカ人の常勤スタッフが3人で活動を展開しています。各プロジェクトで関わるパートナー団体のスタッフや現地コーディネーターを含めると関連スタッフは全部で30人くらいになるかもしれません。

まず、ご紹介したいのが、現地のローカルNGOスタッフや自分の地域をよりよくするために生きる人々の存在。彼ら/彼女らの存在なしに、私たちの活動は、絶対に成り立ちません。彼らが、日々汗を流しているフィールドで、話し合い、情報を共有する中で、地域に今何が必要であるか?という真のニーズが見えてきます。

これら多くの現地NGOスタッフは、「無償」ではありませんが、仕事量に対して決して多い給与をもらっていません。おおよそ、一般の現地の人々の半分程度の給与で日夜働いている人も少なくありません。ある時「安い給料だけどあなたを支えるものが何なのか?」とパートナー団体のスタッフに質問したことがあります。その時、彼は「アプリシエーション:感謝」です。と答えました。無償ではありませんが、彼らには金銭に代えられない共通言語があり、その上で「自発的」に活動に従事するという点で、立派な「ボランティア」ですよね。

私たちの活動を支える人々は、まだまだたくさんいます。私たちの行う活動のほとんどは、地域住民の積極的な参加を前提に進めるという方針の下で行われます。その際にも、多くの人の活動の様々な段階での「自発的な」参加が必要になります。たとえば、家を作るにしてもお互いの住民同士で建築を手伝ってもらったり、井戸を作った後のメンテナンスを当番制で行ってもらったり、住民の自治組織に様々な決定や管理を行ってもらったり、それらの多くは、「無償で」行われます。ここにも、地域を良くしたいという住民という「ボランティア」が存在します。

また、スリランカは日本と比べて、経済的には豊かではありませんが、多くの収入がない人でも、「自発的」に地域をよりよくすために、時間を捧げている人は、年齢を問わず多くいます。私が現地に滞在したときに車を運転してくれた若干23歳のウプル君という若者もその一人で、故郷の世界遺産シンハラージャの森を守る活動に定期的に参加しているという話を聞いて、とても驚きました。「私の故郷も森の美しさは、最高です。いつでもご案内します」と、口癖のように私に語りかけてきました。直接アプカスとして活動を行うことはありませんが、こういった現地の人の「ボランティア」の形もあります。

一方で、海外で主に活動を行う私たちを国内から支えてくれている人々はたくさんいます。例えば、デザインの得意な方が冊子デザインをして下さったり、文章を書くのが得意な方がニュースレターの編集をして頂いたり、日本に物品の販売網を持っている方がそのコネクションをご紹介してくれたり、専門分野の研究として参加する方が新たな資源を地域に提供してくれたり、それらの人々は、「無償で」「自発的に」私たちに力を与えてくれています。

また、自分の生きがいや使命感に基づいてご寄付してくださる方の多くも「自発的に」私たちのサポートをしていただく「ボランティア」に他なりません。私たちアプカスの海外ボランティア活動の下には、これら多くの日本人やスリランカ人の「ボランティア」の存在が間違いなくあります。

その人それぞれの海外ボランティアの形がきっとあるはずです。アプカスは、そういった様々なボランティアの方と積極的につながっていきたいと考えています(ito)

道の名前が変わる!?

2009.06.13

我々の事務所がある道路の名前は「ファーストレーン(1st lane)」なのですが、
昨日、なんとその名前が突然変わりました。「サイモンパティラマワタ」と。

他のスタッフに、「いや~道路の名前変わっていてびっくりしたよね~」いうと、スタッフが昨日見た時は、「サイモンパティラマワタ」ではなくて、さらに別な名前だったとか。

というと、2日のうちに2回も名前が変わったの??いたずら?と思いましたが、道路の入り口にあるボードにはしっかりと「サイモンパティラマワタ」と書いてあるのです。

私は「しかし、道路の名前変わると、名刺やWebに書いてある住所をすべて変えないといけないからかなり面倒だよね・・・」とひとりぼやいていました。

その日の夕方、どうも外が騒がしいと思い、2階の踊り場から下を眺めていると、何人かの男たちが道路の名前が変わったことについて議論をしているわけです。
だんだんその数も増えて、小さな集会を開いているのかと思う位の数へ!

「住民に断りもせずに勝手に名前を変えるとはけしからん!」というのが主な意見で、誰がボードの名前を書き換えたのか、犯人探しをするぞ!と大きな声で話しているのです。

よくよく話に耳を傾けると、「サイモンパティラ」というのは、その道路一帯の地主で、道路を作る時に土地を提供した人だとか。「マワタ」はシンハラ語で道路の意味。
地主の名前を直接道路の名前にしたというわけです。

しかしなんで今頃??住民の話によると、市役所の議員がこれには絡んでいて、政治的な力を見せつけるために名前を変えたとか・・・。私にはあまり理解ができなかったけど、簡単に道路の名前が変わったことも驚きですし、それに対して、住民が団結して反対集会?を行っていたことにも、驚きました。結局、その後住民によって「サイモンパティラマワタ」のボードは撤去されていました(笑)。というわけで、現在、名前がない道路となっているわけです。

いや~スリランカで暑いの気温だけではないようです!(ishikawa)

仏教から生まれた文化

2009.06.09

6月7日は、ポソンポーヤ日でした。ポーヤはスリランカの仏教徒に対して大切な日で、公休日として決められています。

ポソンポーヤの大切さとは何でしょうか?

今から2554年の前に、ちょうど仏様の入滅から300年の後のポソンポーヤ日にインドのマウリヤ朝の国王、アショウーカの息子、マヒンダと言う高僧は仏教を伝えるためにスリランカのアヌラーダプラにあるミヒンタラヤという山を訪れました。

当時、スリランカの王はデーワーナムピヤチッサでした。

王は40000人と共にシカを狩りに行く予定でしたが、偶然にマヒンダ高僧に会って、「CHULLAHATTIPADOPAMA」経典を聴いて、動物を殺すことを辞めて仏教徒になりました。
その後、王は熱心に仏教の進歩へ貢献をし、お坊さんのために、お寺や仏舎利等などを建てて、仏教を広げるために努力しました。

スリランカに仏教が伝わる前に、人間は石、木、水などの自然の物と悪魔、神などの目に見えないことを信仰していました。
仏教の教え方が国の中で広がり、それを受け入れた人々はより文化的な生活を過ごし始めました。教育、文学、芸術などが発達し、人間の生活が変わりました。お寺や仏像をきっかけにして仏教との関係が強くなりました。村とお寺、湖水と仏舎利等を中心になった社会が生まれました。

現在では、ポソンポーヤ日には仏教徒はお寺に礼拝をします。青年たちは、食べ物を配ったり、ジャータカ物語を見せたり、また、アヌラーダプラ、カタラガマへ連れだって行く人々もいます。最近、人々は宗教から離れる傾向がありますが、ウェサックポーヤ日とポソンポーヤ日には、信仰にはあまり熱心ない人たちも礼拝行に参加するのです(Devika)

Celebrating the victory over terrorism

2009.06.03

These days we can see the celebrations of the win against the LTTE terrorists in Sri Lanka. Almost each and every house has a hoisted national flag. Every town is decorated with cutouts, banners and slogans of heroic soldiers. People are making milk rice, oil cakes and traditional foods and shearing them with all levels of the society. Pirith chanting ceremonies are carried out almost at all the main temples, government and private sector institutions and organizations. Media give the priority to conduct discussions with the hierarchies of armed forces and the government. Parades are organized with the participation of all the age groups of the society.

But are we really celebrating the victory as a united nation. Still the people who internally displaced are at their tents. Good nutrition, healthy food and sanitation is a dream for them. Schooling of children is far than they think. Children who lost their parents, brothers and sisters live with sorrow. Temporarily established hospitals are overflowing with pations.

Can we celebrate the victory with this type of sad situation? Only human can help human. Think twice when we spend for celebrations. If you can help the people who are affected by the war will be more fruitful than lighting firecrackers.(Vajira)

ローカルラジオ

2009.06.01

今日は、ラジオを聴きながら、ローカルニュースに耳を傾けていました。

たまたま流れていたのが「国際社会がスリランカ政府を批判をするのは何故?」
というテーマで、視聴者が電話で自分の意見を言うというものでした。

何気なく聞いていると、まず1人目が、「今回の内戦では、情報を反政府軍にリークしてた人シンハラ人もたくさんいた。国際社会を批判する前に国内のことをもっと議論したほうがいい・・・」と。
パーソナリティは、ちょっと的が外れた意見をうまくまとめて、次の話につなげるように色々と話をして次の電話へ。次の人どうぞ!どこからですか?お名前は?

「デヒヤッタカンディエからラナトゥンガです。聞こえますか?私は、国際社会がスリランカを批判する理由はいくつかあると思います。まず、欧米の国々は、中国やインドそしてスリランカが発展することを阻止したいのだと思います。
我々が発展すると困るから色々と邪魔をしているのだと。LTTEを支援していたのも問題をずっと続けさせるためだったのでしょう。また、スリランカは仏教国なので、キリスト教国であるヨーロッパなどはそれも気に入らないのだと思います。
スリランカは偉大な国で、過去様々な形で侵略を受けてきましたが、いずれもそれに打ち勝ってきました。ジャフナもインドが狙っていましたが、結局、自分の物とすることは出来ませんでした。スリランカの位置はインド洋周辺において、軍事的にも重要なところです。だからこそ第二次世界大戦のとき日本も攻撃して侵略しようとしたのです。その後、結果的に戦後の日本を救ったのはスリランカのジャヤワルダナ元大統領だったわけです。

内戦が終わったので、これでこの国も発展すると思います。国際社会の批判に従うのではなく、自分たちのやり方を持っている政府は良いと思います。・・・」

先週、あるスリランカ人と話をしていたときに、その彼が「多くのスリランカ人は周りが見えていませんよ。自分たちが一番良いと思っている・・・。僕は外国に行ったことがあるからかもしれないけど、世界はもっと広いということがなんとなく、わかります・・・。」と言っていた事を思い出しました。こんな発言をする人に会う事はそうないように思えます。

色々な考えを持っている人が多くいるのは良いことですが、なんだか情報のバランスはすっかり崩れているな~と思いながら、ラジオに耳を傾けたひと時でした。(ishikawa)

北部・難民キャンプは今

2009.05.30

今日の新聞のトップに強調してこう書かれていました。

北部の避難民キャンプにおいて
「1300名の子どもが深刻な栄養失調状態」
「トイレも等の設備も慢性的に不足」


政府が北部を制圧してから12日間が過ぎ、最後まで「人間の盾」として戦闘地域に残されていた人びともワウニア県に設置されている避難キャンプに続々と到着しています。その数は30万人近くにまで達しており、避難キャンプのキャパシティをすでに超えており、戦闘が終わったにも関わらず避難民は、非常に厳しい生活を強いられています。

一昨日、ワウニアに住む友人と電話で話しました。彼の親戚も、「人間の盾」として、修羅場を潜りぬけ何とか避難キャンプへと到着したとのこと。負傷している彼の叔父は、キャンプ内で治療を受けることができないため、ワウニアの街にある病院へ来るそうで、その時に少し会って話ができたと、その内容を私に話してくれました。

~避難キャンプにいる人のはなし~

「避難キャンプは有刺鉄線で囲まれており、機関銃を持った兵士が至る所に居り、一見”強制収容所”の様だ。トイレなどの基本的な設備はもちろん、食糧や飲料水も慢性的に
不足しており、昼食が出てくるのは午後4時。それが、結局夕食でもあった・・・。

命からがら逃げてきたから、服もあまり持っておらず、ずっと同じ服を着るしかない人が多い。
日中は厳しい日差しで気温も高くなる。涼む場所など当然なく、熱さに耐えるしかない。
近くのテントから聞こえてくる赤ちゃんの泣き声にもどこか力がない・・・。避難キャンプの外に出られるのは、病院に行く時だけ。外部の知り合いと会えるのは避難キャンプのゲート
との所である。拡声マイクで名前が呼び出され、ゲートに行くと兵士のチェックを受けて、その人と会うことができる。でも、アメ一つさえ受け取ることは禁じられている。
早く自由な生活がしたい・・・。政府は、半年で故郷に帰れると言っているけど、たぶん、無理だと思う。ひとまず、この避難キャンプでも最低限の生活を送ることができるようにしてほしいよ・・・。」

友人は、叔父から話を聞いた後で、街から1時間ほど北に位置する”マニック農場”と言われる避難キャンプを
訪れています。彼が見た光景は、叔父が話していた通りだったと、言っていました。

政府は、避難キャンプ内にいる、反政府軍の兵士探しを行っており、すでに1万人以上が元兵士の
疑いがあるとされ、別の場所へ隔離され始めています。この作業が終わるまでは、軍が避難キャンプを管理するが、順次、『民政』に移行していく予定であると言っています。そうなれば、少しは自由が増えるかもしれません。

新聞のトップに書いてあった「深刻な栄養失調の子どもが1300人」。きっと、この数は今後も増えることでしょう。
ただでさえ、戦闘の中で栄養失調となっていった子どもが、戦闘が終わった今でも空腹に耐えている
ことは非常に悲しいことです。

コロンボでは、毎日少なくとも100トンもの生ごみ(食べ物)が捨てられています・・・。
これは違う問題だとは分かっていますが・・・。
それでも、同じ国の中で、これだけ格差があること自体が『不満』『怒り』を生み出す原因となるのではないかなと思います。(ishikawa)

象の孤児院

2009.05.27

srilanka3.jpg

親のいない仔象を引き取って、育てている象園
耳をヒョウに食べられてしまった象や、
象牙のために目を撃たれ、見えなくなってしまった象も。

社会見学の子供たちで、にぎやか

 印象的だったのは、生まれたばかりの子供と
一緒に居た親子の象。
仔象に触って、写真撮影ができますよ、という事だったのだけれど、
仔象は母象に夢中。
鼻を母の鼻にからめて甘え、人間の手が体に触れても
見向きもせず、、、
無視された人間の私たち
母は強し?!(setsuko)

ホテル

2009.04.24

srilanka33.jpgsrilanka44.jpg
にぎやかなコロンボの中心から車で30~40分の、
海岸ぎわにあるホテル建物は2階建て 
プールのある芝生の庭には、椰子の木がたくさん植えられ、
リスがたくさん住んでいる。

周辺には漁師の家々
ホテル前の海が、漁師の舟の帰ってくるところ
スリランカには仏教、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の4つの宗教があるけれど、
この漁師の村はキリスト教

このホテルに案内してくれたパトリックさん(キリスト教の名前)が、”ここは昔お母さんの家があったんだ。(setsuko)

止まれ!byコカコーラ!?

2009.03.19

R0019741.JPG

先日、ヌワラエリヤの事業地からコロンボに戻る際、久しぶりにチェックポイントで車を止められ、厳しいチェックを受けました。車の中にあるすべての荷物を空けて、中に何が入っているのかを確認し、パソコンも鞄から出して確認し、マウスを手にとって「これは何か?」と。さすがに、「マウス…」としか答えられませんでしたが…。反政府軍が攻撃を行うという情報が入ったらしく、それに伴いチェックを厳しくしているんだとその場の警察は言っていました。これだけ、政府軍の戦勝が伝えられているのですが、いまだ反政府軍による破壊活動の脅威がスリランカ全土にあるということでしょう。

昨年政府により制圧された東部地域でも、いまだ不安定な状況が続いており、まだまだ至る所に警察および軍のチェックポイントがあります。ひどい所だと、チェックを受けて500メートル走ったところで再びチェックを受けるなんていうこともあります。そんな多くのチェックポイントで目にするのが、赤地に白色で「STOP」と書いてある看板です。これが結構目立つので、遠くから見てもあ~チェックポイントがあるな~と思うわけです。あるとき、この看板をじっくり見てみると、実はこの看板チェックポイント用に作られたものではないのです!

R0019742.JPG「STOP」の文字の下に、「クールウェンナ コカコーラ」(涼しくなろうコカコーラで!)と書いてあるのです。

要するに、この看板は「止まって、コカコーラを飲んで、涼しくなろう!」というコカコーラの宣伝用だったのです。それをうまく?利用してチェックポイントの「ストップ」ボードにしてしまったわけです。

どこかの会社がスポンサーとなって、チェックポイントにある車止めの柵などを作っているのは目にしますが、コカコーラのボードをそのまま利用するとはなかなか大胆だな~と思いました。それとも経費削減!?(ishikawa)

思い出す・・・・

2009.03.15

srilanka2.jpg
雨の日、車から降りた私に傘をさしかけに来てくれた。

その少年の足は、はだしだった。当時9歳

スリランカ北部の、内戦の激しい地域出身の彼は、戦争で家を焼かれ、母を亡くした
父は再婚したが、その義母とうまくいかず、家に居づらいのだという。

知人(旦那さんが出稼ぎに行っていて赤ちゃんと2人暮らしの女性)が家において手伝いをしてもらっていた。

「学校行かないのかな?」
という私に、
「まず食べること。ご飯を食べないと勉強に身が入らない。その次に必要なのが、ノートと鉛筆」
と、知人。

お腹が空く、、、これはきつい。
子供にとって、誰かに愛されている、と実感できない事も。

その後の彼は”体裁が悪い”と、義母が連れ戻しに来て、車の修理工場で働きはじめたと聞いた。
今は元気でいるだろうか。
別れ際、彼に日本のお菓子を渡そうとすると遠慮する。

「おいしいよ」と手に持たせると、はにかんで笑った顔を思い出す。(setsuko)

非常事態宣言

2009.03.07

先日国会で「非常事態宣言」の延長が承認されました。私も正確な日にちを覚えていませんが、たぶん1年以上この「非常事態宣言」が続いているように感じます。非常事態ということで、軍や警察のもつ権力が増しているのは確かです。

今日、会議に出席するためにバイクで会場に向かっているときのことでした。道路は多少渋滞気味だったため、車の脇を抜けて前に抜け出していたところ、後ろから「ププーププー!」とクラクションの音が聞こえてくるのです。

ふと、サイドミラーに目をやると陸軍の兵士が乗ったバイクが2台私のバイクの後ろについているのです。彼らは二人乗りで、後ろの兵士は片手に銃を持ち、いつでも発砲できる状態です。少しスピードを落として道路脇にバイクを寄せるべく、ウインカーを付けると、後ろにいた1台のバイクがすぐに私のバイクの前方に来て進路をふさぐ形でスピードを落とし始めました。私も、すかさずスピードを落として道路脇に停車。前方のバイクの兵士は銃を構えて威嚇の体制、そして後ろのバイクの兵士二人が私のバイクの脇に来ました。私は、バイクのエンジンを切りヘルメットを脱ぎました。

そこで、兵士の表情が少し変化しました。たぶん、彼らは外国人だとは思っていなかったのでしょう。
身分証明書を見せろというので、防衛省が発行しているIDをみせると表情もやわらかくなり、

「防衛省発行のIDもっているから怪しいものじゃないな。しかも、スリランカ人じゃないしな~・・・」とシンハラ語で会話しているのです。
シンハラ語で
「私は日本人だよ」というと、
「お~シンハラ語わかるのか?」
「日本人とは知らずに止めてしまってごめんな」と急にフレンドリーに話してきました(笑)
「まあ、これも君たちの仕事だから仕方ないよね」
二人とも笑っていました。

と、今回は何の問題もなく済みましたが、中には検問で兵士が停止するように指示を出したにもかかわらず、
外国人が運転する車がそれに気づかず通り過ぎてしまい、発砲されるという事件が何度か発生しています。

やはり「非常事態宣言」が発令中なんだなと感じる一件であり、ちょっと気を引きなおした一日でした。(ishikawa)

足拭きマット

2009.03.05

srilankas.jpgDil aksaneeカンパニ ー
一般家庭でよく目にする足拭きマット。
それらは、古い衣服や布を細く裂いてより合わせ、ひも状になったものを
ぐるぐると巻きつけ縫いつけていって、出来上がる。

適度に厚みがあり、よく水を吸い、カラフル。

 それを家の入り口、(たいていの家は入ってすぐ、いきなり応接間)や
シャワーのある洗面所の入り口に置いて使う。
暑い国で土の道をサンダルで歩いた足で家に入り、洗面所でぬれた足元を拭くわけだから、マットは必需品で消耗品。
それを古布でリサイクルとは合理的。

Dil aksaneeカンパニ ーの店先には、そんなマットがたくさん陳列され
運び込まれた古布の詰まった袋が山になっている。(setsuko)

えっ?コロンボ空爆

2009.02.20

今日は大学でのエキシビションがあったので、夜はそれをちょっとのぞいて帰ってきました。
夜、9時過ぎくらいに帰宅、その直後に停電・・・。よくあることといえば、よくあるんですが・・・

メールみれないな~と思っていたら、9時半ごろから急に外が騒がしくなりました。
なんと!LTTEの飛行機による空爆でした。対空射撃?の光は見えるは、落とした爆弾の音は聞こえるは、なかなか緊迫した状況でした。

結局爆弾がひとつ落ちて、ペター地区(駅などがある中心部)に着弾。けが人が出ているようです。
2機の飛行機のうち1機は政府軍の射撃にダメージを負い、途中で墜落したっぽい。とのこと・・・さすがに少しびっくりしました。
やはり、政府軍とLTTEとの戦いは、続いているんですね。
ご近所さんと話してみたら、この家のすぐ近くにも流れ弾が飛んできたとのこと。

携帯の調子も悪く、国内事務所にも定時連絡できず・・・・ちょっと今後に不安を覚えた一日でした。(ishikawa)

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2573490/3833073
上記AFP通信より
【2月21日 AFP】(写真追加)スリランカ最大の都市コロンボ(Colombo)で20日夜、反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(Liberation Tigers of Tamil Eelam、LTTE)」による空爆があり、少なくとも2人が死亡、44人が負傷した。医療関係者が明らかにした。
 スリランカ政府軍によると、空爆を実施したLTTEの軽飛行機2機のうち、1機はコロンボ国際空港の近くで撃墜。2機目は、攻撃を受けた内国歳入庁の建物内で残がいが発見された。今回の攻撃は、空からの自爆攻撃だった可能性もあるという。 一方、航空当局によると、この攻撃でスリランカ唯一の国際空港が閉鎖されたため、航空便は隣国インドへ回されている。

何気ない風景

2009.02.14

tasogare.jpg


スリランカでは、我々が普通に考えていることが「常識」ではないということが多々あります。

そんなことは当然なのですが、分かっていても、それでもうまく消化できない日も、それはそれで、多々あります・・・。

それを癒しているくれるのが、何気ない風景だったりします。

昨日、家に帰る途中、空に浮かぶ赤く染まった雲を眺めながら、しばらく道の脇に立っていました。
「きれいだな~」と・・・・

まあ、周りのスリランカ人からは「何やっているんだ~?」と見られていましたが(笑)


怒ってはみたものの・・・

2009.02.09

2月4日から"Deyata Kirula"という大きな催し物が行われています。
http://www.dailynews.lk/2009/01/29/news12.asp
そのため、警備も強化されており、至る所で道路が封鎖されたり一方通行になったりしています。警備を強化するのは別に構わないのですが、その影響で発生する渋滞はやはり困ったものです。
jam.jpg
昨日はその渋滞に見事に巻き込まれました。バイクなので、幹線道路の場合は脇を通り過ぎていくことができますが、細い道だとそういうわけにもいかずに前の車が進むのをじっと待つのみ・・・。
私が走っていた車線は反対車線に比べて渋滞が少なく、少しずつ流れていたのですが、反対車線を走っていた三輪バイクが急いでいたのか?こちらの車線を逆走してきました。
私の前を走っていのはワゴン車で、当然、三輪バイクとすれ違えるスペースなどありません。結果、後ろにも下がれないし前にも進めない状況に・・・。当然、周りのドライバーからはブーイング!
そして、その列に国連機関の車もいたのですが、運転していた外国人(たぶん欧米人)が窓を開けて「お前のせいでみんなが困っているんだ!!」と英語で三輪バイクの運転主に向かって叫びました。

しかし、当の三輪バイクの人は何もなかったような顔をしているのです。
きっと英語が分からなかったのでしょう~(笑)。もしも、英語が分かっても果たしてどれだけ反省するかは疑問だな~とその様子を見ながら思っていました。しかし、交通マナー悪いですよね・・・。

自分もだんだんそれに慣れてしまうのが怖いのですが・・・。

南海岸は復興したのだろうか??

2009.02.02

昨日、コロンボから南に約4時間のマータラ県に行ってきました。南の海岸線を移動するのはかなり久しぶり。津波後の復興支援のときは毎日見ていた風景。建物の残骸やテントなどが道路わきにあったがその姿は今はほとんど見えません。

それに代わり、小奇麗なゲストハウスやレストラン、小さな公園などが整備されて、しっかりと「復興」したな~という感じでした。

以前は、海から50メートル以内(その後、20~50m以内と決まりが変わったが)での住宅等の建設は禁止!といわれていたのですが、津波から4年後の現在、海から数メートル以内のところに住宅を再建して住んでいる人も多くいて、やはりスリランカだな~と呆れ&感心?の眼差しで通り過ぎてきました(笑)一見、復興がしっかり進み、人々は幸せなのかな~と思いきや、地域に密着して活動をするNGOの人の話や、直接住民から話を聞いてみると、現実はあまりハッピーではないとのこと。

多く耳にしたのが、「津波で格差が拡大した感じがする・・・」という話でした。

ある再定住地では30軒の住宅を提供したものの、現在23世帯しか住んでいないという所もありました。
一方で、いまだ住宅がない人々もいます。

誰かがチェックしに来るという情報が入ると、すぐに、人々は戻ってきて住んでいるふりをするとか(笑)なかには、だれも家にいないのにわざと電気をつけて電気メーターが動くようにしておいて、いざとなったらそれを証拠として提出しようと考えている人もいるとか。そこまで気合入れるなら、その家に住めばいいのにと思いますよね。とにかく、自分たちが何も苦労をせずに家&土地をもらったわけですから、数年後には売ったり、子供たちにあげることができると考えてなんとか家を死守?しようと思っているのでしょう。そんな人たちには家が2,3軒あるなんて言うのもよく聞く話で、経済的には非常に「成長」したのかもしれませんね!しかも非常に一握りの人ですが・・・。

その影で、海沿いに住んでいた零細漁民などが、内陸部の移転地に移されて、仕事もなくなり経済的に非常に苦しんでいるという話も聞きました。漁民を辞めて工事現場などの日雇い労働者となるケースが多いようです。そうなると、生活スタイルも変わったりと、様々な影響が出ているのは確かなようでした。

長期的にそれが良いことなのか悪いことなのかはわかりませんが、現時点としては、苦しい生活を送っているのが現実のようでした。

総合的に考えると果たして復興したのかどうか??もう少し深く考えてみる必要があるな~と南海岸線沿いを走りながら思いをめぐらせていました。

-津波発生当時の日記より-
2005.02.23
テレビを見ていると時折政府からのお知らせが流れる。

「海から100m以内には家を建ててはいけません。現在、家や土地がある人には別な場所を政府が用意します。漁業関係者で船や網などを失くした人は政府が補償します・・・。」と。

毎週被災地域へと足を運んでいると少しずつではあるが確実に復興が進んでいると感じる。海沿いにいる人の数も増えてきている。資金がある人は仮設住宅を100m以内に建てている。
大きなダメージを受けた大きな街でも次々と商店は再開されている。先日ゴールの街でいくつか買い物をしたのだが、「商品が汚い」などと文句をつけると、「津波だから」という答え。まあ、言い訳の好きなスリランカ人的には良い『言い訳』が見つかったわけである。普段であれば、そんなの商売人として間違っていると文句をつける私だが、今回はどうも文句をつけにくい・・・。

話がそれてしまったが、とにかく政府は非常に大きな挑戦をしなくてはいけない。 100m以内に家屋建設禁止の件でも、すでにいくつかの被災地域で耳にしたのが「政治家の力であそこの家は立ち退かなくてもいいだよ・・・」というような声である。いかに平等に実行していくのか?一時的には100m圏内の人々を退去させたとしても、時間が経つにつれて少しずつ人々が戻ってくる可能性が大きい。コロンボ地域にあるいくつかのスラムは違法占拠状態のところが多い。いくら決まりがあってもそれをどう行使するのか。政治家影響をいかに抑えるのか。課題は山積みである。

また復興が進むにつれて、貧困の格差が大きくなる事が懸念される。色々な事が「政府がくれる、NGOがくれる、どこかの個人がくれる」だろうという事で進んでいく。その狭間で忘れられていく人が生まれる可能性がある。

今日の出来事

2009.01.26

22時が過ぎました。今日は一日中曇りで涼しかった~。雨が降るかな~とちょっと心配していたけど、何とか雨は降らずに・・・。バイクを使用している私にとっては非常に助かりました!ただ、ざーっと雨が降ってくれるとさらに涼しくなるし、埃も減るというよい面もありますが。

さて、今日は涼しいから、仕事がはかどるかな~と思っていましたが、なかなか思い通りにはいかないのが現実。

朝、オフィスに8時半ごろ到着。久しぶりに、ワラパネ(地滑り被災者への支援事業地)の担当者がコロンボに来ていたので、彼から現状を聞いたり、進捗状況の遅れに文句を言ったり(笑)。ワラパネでは、被災者の移転が進んでいるのですが、まあその移転地というのが実にひどい・・・。2年間も避難キャンプで苦しい生活をしてきた人びとに「新しい土地があげるのだから文句を言わないで早く行くように!」と政府が言っているのですが、もう少し、少しだけでもいいから被災者の立場で物事を判断して欲しいなと・・・。これはいつも、そして一番強く思うこと!

だって、新しい移転地は近くに水源もない小高い丘で、草がぼうぼうなところを自分で切り開いて、造成をして本当にゼロから開拓をしないといけないのです。トイレもないし住宅建設の見込みもない・・・。
walapane008.jpg

書き始めるととまらないのでちょっと省略・・・・と、一言で言えば問題山積みなんですね。

我々に何ができるのか?かなり流動的な現場で、活動計画を立てることは結構難しいのですが、やはり、今回は水だろ~!ということで現場のコーディネータらと協議し、申請書を書いて今結果待ちです。自己資金が豊富にあれば、即決→実行なのですが(笑)これも今後の課題です!

その後、2月から開始する「津波移転住宅における家庭菜園導入によるゴミ問題の解決事業の実施地域である、南部マータラよりスタッフが来ていたので、彼女たちと事業の進め方についての話し合いがありました。

事業を申請したのが昨年の9月なので、その後の現場の変化などを確認して、どのようなアプローチをするのかということを簡単に話し合いました。事業が増えてくるとどのように事業の調整・管理をするかが一番の課題となってきます。それにかかる時間が増えると現場に行けなくなる・・・。現場に行かないと感覚が鈍る・・・。なんていう問題もあるのですが、ひとまず今はマネージメントがうまくいくようにいくつかのツールを使ってみようと模索中です。

そして、午後には今月締め切りとなるあす助成金の申請書の情報集め。先週現場に行ってきたスタッフと話をしながら、必要な情報を拾ったりしてどのような事業を立案するかを考えていました。事業の大枠は地域を選んだ時に決まっているのですが、やはり現地の情報を基に、細かい肉付けが必要になります。情報を頭に入れて、後は考えて考えて書くだけなのですが、どうもはかどらないですね。切羽詰らないとエンジンがかからないので・・・(笑)結局、事務所では基礎情報を頭に入れた状態まででした。

その後、雑用などを行い、知人のお見舞いに病院へ。

気分を変えて夜再び申請書に取り組もうと思ったのですが、どうも集中できないで時間が過ぎるのみ・・・。

こんな感じで今日も一日が終わっていこうとしています。

LTTEの最後の砦を制圧

2009.01.25

政府の発表によると、反政府軍(LTTE)の最後の砦であったムラティブという街を制圧したと。
実質は大きな戦闘の末に制圧したのではなく、LTTE側は撤退してしまったようです。ともあれ、これによりLTTE側の「本拠地」というものがなくなったのは事実かもしれません。今日のニュースを見ていると、「最後の砦を制圧!4月までにはLTTE壊滅!?」という発表が出ていました。
2月4日はスリランカの独立記念日なのですが、その日にあわせてムラティブの奪還を発表するのだろうな~と思っていたので、それより1週間以上も前に制圧してしまったことに驚きでした。

LTTEのトップであるプラバーカランはもうすでにスリランカを離れているという話もいくつかあります。
先日、未確認の飛行機がムラティブに来て,また海のほうに飛んでいったことは政府も認めているのですが、
その際に脱出したという話とか、プラバーカランはすでにカンボジアにいるとか・・・。真実はいかに!?

今回の制圧はLTTEの壊滅を意味するものではないので、戦争が終わったわけではないのですが、コロンボのいたるところでは、祝賀モードで爆竹が鳴り響いていました。

北部では戦闘に巻き込まれ多くの民間人が死んでいます。また報道規制があるため、本当の状況を知ることが難しいのが現状・・・。本当に喜べるのはまだ先かなと思います・・・。

病院で出会った女の子

2009.01.23

昨日、知人のお見舞いに病院に行ってきました。スリランカの国立病院に行ったのは久しぶり。国立病院は無料ですが、その分、院内きれいな状況とはいえなかったり、設備が整っていなかったり、ベッドが足りなかったり…昔病院に足を運んだときのイメージでした。でも、ここ数年で改善したのか、思ったよりもきれいでちょっとびっくり。当然、設備不足やケアーの質の問題はあるとは思いますが…。そこで、ある女の子に出会いました。

彼女は「家に電話をかけたいから携帯を貸してほしいと」英語で話しかけてきました。まず驚いたのが英語で話しかけてきたことです。タミル人だと身なりで分かったので、勉強中のタミル語で「シンハラ語話せない?」と聞くと、首を横に軽く振りました。電話をかけ、なにやら口早で話していましたが、途中で切れてしまったようで、悲しそうにうなだれていました。事情を聞くと、彼女の出身はタラワケラというコロンボから4時間くらい離れた山の中。両親は紅茶プランテーションで働いているとか。数年前からコロンボのある家でメイドとして働いていたのですが、家に電話することも許されないし、給料もしっかり払われないし、しまいに雇用主が彼女に暴力を振るうようになったと…。彼女の右腕には痛々しい傷跡が残っていました。
そして、彼女は数日前に鎮痛剤を一度に35錠飲んで病院に運ばれたとの事でした。警察に言うのも怖いし、とにかく早く家に帰りたいと、彼女は泣きながら訴えていました。

 一緒に病院を訪れていた、子ども関係の活動をしているNGOであるSCDF(アプカスのパートナーNGO)のメンバーと相談し、子どもの両親に何とか連絡をとり、迎えに来るようにと伝えました。(つづく)

※ 数日後、家族が彼女を迎えにきたそうです。

戦闘ヘリ

2009.01.21

低空飛行でヘリが飛ぶときの音ってかなりうるさいもので、話している相手が"クチパク"しているのかなって思うぐらいなんです。昨日はこの低空飛行のヘリが頻繁に行き来し、何か軍事的な問題があったのかな?
と思うくらいでした。今日の新聞になにも特に載っていなかったので、問題はなかったはずですが・・・。

この音を聞いた時にふと思い出すのが沖縄での経験です。10年前くらい沖縄・伊江島の農家でアルバイトしていた時、その時は、ご飯を食べるために家の中にいたのですが、突然ものすごい音が鳴り響き、家がガタガタと揺れたんです。
私は一人焦ってすぐにでも動ける体勢をとったのですが、他の人たちは平然とご飯を食べているんですね。
そして一言「あ~今日もヘリの演習だね・・・」と。想像以上にうるさい音とその振動に私は驚いたのと同時に、島の人々が驚きもせずに、これが生活の一部だというように振舞っていたことにある種のショックを感じたものです。
「慣れ」って怖いですね・・・。

スリランカでも、日々「反政府軍を何名殺した」などという言葉が新聞のトップを飾り、それを見てもなんでもない日々の一出来事のように感じてしまいます。きっと、慣れてしまったのでしょう。

慣れたくないこともあるけど、慣れないとやっていけないこともありますよね。バランスが大切でしょうか??

キケン?な椰子の実

2009.01.10

kokoyashi.jpg南国といえば椰子の木ですが、その実の中でもキングココナツという種類の大きめの実は、天然の栄養ドリンクです。
ココナツの上部をカマで切り落とし、そこにストローをさして中のジュースを飲み、その後縦半分に切って、先に切った部分で作ったスプーンで
中身の内側に薄く付いているゼリー状の所をすくって食べたりもします。
車道沿いに屋台が出ていたり、自転車の後ろに荷台いっぱいにして売り歩く人もいます。
暑いので水分補給にもなるのでしょうし、朝飲むと元気になるそうです。
 ところで海辺で椰子の木の下で昼寝していた時の事、突然近くに、めりめりどっすん!という音とともに枝が落ち、
続いてラグビーボール大の実がぼったん!と落ちてきたのです。かなりの衝撃音、、、
実を拾って喜んでいるおニイさんを横目で見ながら、真下に居なくて良かったーと思ったのです。

原油価格とリサイクル業者

2009.01.10

先日、知り合いのリサイクル業者と会ったときのこと、「かなり厳しい状況だよ・・・」と彼がぼやいていました。
どうしたのかと思って聞いてい見ると、原因は原油価格の下落だとか。原油価格が下がりみんな嬉しいのかなと思っていた私にとって以外の一言でした。原油価格の下落に伴い、プラスチック原料も大幅に値下がりしたとのことで、以前、1キロ300ルピーしていたものが、今では170ルピー。要するに新しいプラスチックを作るほうがリサイクルするより安いという事のようです。おかげで、リサイクル市場は取引が7割も少なくなったとか・・・。
昨年より、環境局もゴミの分別とリサイクル化に力を入れて、「ゴミがお金に換わる!」なんてスローガンのもと少しずつゴミの有効利用を進めていたのに、リサイクルする側が採算が取れなくダウンしてしまっている中、ゴミ問題はまた振り出しに戻っている感じです。
じゃあ、原油価格が上がればいいのか?そうしたら、国民の生活に打撃を与えるしな~。ん~やはりゴミに関しては人々の意識改革とシステム作りが必要!?「環境と経済の調和」って言葉では簡単に使うけど、現実的に問題は複雑ですね。(ishikawa)

信号

2009.01.10

日曜日のコロンボ市内でふと気がついたのだが、信号が動いていない!信号も日曜日は休みのようだ。
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まあ、すべての信号が休みということではなく、日曜の交通量が極端に少ない箇所の信号を止めているようである。スリランカって非常に「先進的」かもしれない。だって、省エネに対応しているし、信号なしでもマナーが守れるということだから!?まあ、信号を休めることで、どの位の節電につながるのかは定かではないが、悪いことではない気がする。
 また最近、日本の援助の下、時間表示つきの信号が増えている。これは、予想以上にドライバーのストレスを緩和しているように思える。今まではいつ変わるかわからない信号を必死に見つめて、いつでもスタートできるように緊張していたものだが、時間が表示されるのでそんな心配をする必要がなくなった。
青信号になったときに、ちょっとでも出遅れようものなら、後ろに並んでいる車から嵐のようなクラクションが鳴らされるこの国では、時間表示つき信号はやはりいいものだ。ただ、設置理由はもっと他にあるのだとおもうが・・・(笑)

that was spicy and sweet days
スリランカ滞在を終えて

2008.11.20

今回、NPO法人アプカスの活動を開始して、初めてスリランカに滞在する機会を頂きました。現地での石川をはじめとするスタッフの活動に同行させてもらったことは、今後の活動計画や申請書、報告書を作成する上でも有益なものでした。また、現地のパートナーNGOの方々、魅力的な人々とも親交を深められたことは、この小さな活動を次のステップに進めてくれる原動力になると確信しています。

今回の視察の中では、たくさんの行政当局の責任者とも会いました。石川を初めとするスタッフが、現場で実績を残しているからに他なりませんが、いとも簡単に、市役所の助役や事務次官にノーアポイントで会えるとは、考えもしませんでした。
しかし、それは、裏を返すと、それだけ、NGOという存在が社会の発展の上で重要な地位を獲得し、その必要性を行政当局も認識していることに他なりません。しかし、日本のような先進国とは違い、社会整備が未発達の中でNGOが行政の中枢で活躍するということは、一方で、政府や行政が、一種の機能不全に陥っており、頼らざるを得ない事実の反映でもあります。
複数の現場で、行政の機構が重複して非効率だったり、責任の所在がはっきりしなかったり、予算の執行に関しても疑問が残る現場が多々ありました。どこの国でも、たとえ個人は優れていても優れた集団になるとは限らないとは言うものの、NGOが、二転三転する行政との調整業務に多くの時間を費やしている姿は、問題が緊急性のある場合もあり、非常に歯がゆい思いをしながら見ていました。

また、スリランカ人の気質が、いい意味でも悪い意味でも、ややウェットであるということも、この国を語る上で、非常に重要であるように思えました。よく言うと、フレンドリーで人情深い、悪い意味で言うと、感情的でねちっこいといいったところでしょうか?

現場で住民と共に汗を流すフィールドオフィサーの活動、住民のための新たな事業に奔走するNGOスタッフ、事業について真剣に議論するNGOのブリーフィングなども拝見しましたが、熱っぽく、最貧困の人々のために語り働く姿、それは、気温の暑さとあのスパイスの香りと相まって、とても、刺激的に思えました。

そして、貴重な時間の中で、この文章を読んでいただいた皆様へ

環境学を専門として、教養として学ぶ皆さん、そして、異国に興味を持つ皆さん。

すべての人々が、卒業後に仕事として、環境学に関わるわけでも、さらに進学し、専門家になるわけではないと思います。また、地球の裏の貧困や環境に関わる諸問題の影響は、普段の生活で垣間見ることはほぼありません。また、それぞれ、仕事や与えれた役目が絶えずあるというのが、生活です。私もすべての時間をアプカスの活動に費やすことはできません。

しかし、世界との関わり方は様々があるのでは?と思うのです。

「思い」と「時間」が少しれば、余暇を利用して、ゆるく、長く、国外の環境学や貧困、社会開発の最前線を様々な形でバックアップするということも非常に素敵な人生の選択肢なのではないだろうか?と、それに気付き始めている自分がいるのです。
(実は、スリランカの若い世代にも、本業の仕事とは別にボランティアとして、自分の町の自然や環境保全のために、情熱的に活動をする人々が多くいました。)

要求される能力は、多種多様。語学力、戦略的思考能力、調整能力、コミュニケーション能力、情報発信能力はもとより、体力や忍耐力が要求される仕事であり、理論面の理解や動向などの研究も当然必要です。意外に?求められるといこともありますが、そこで、きっと自身の能力を磨くこともできるはずです。人は環境を作り、環境は人を作るのです。

人のためになるならば、少しだけ自分を前に進めることができる能力があれば、きっと、どうにかなる。と、一年を振り返ると、そんな気持ちになります。

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そして、何よりも、思うのは、このような後進国での非営利活動の先には、よりよい社会や環境の保全に関して「直接的な」貢献を感じることがきる利点があります。また、その種のヴィジョンをどんどん形にしていくということは、大学とは違う、また、社会人とは違う、新たな選択肢と豊かな満足感を人生にもたらしはしないだろうか?と思うのです。

スリランカで出会った多くのNGO関係者は、決して高いとは言えない給与で、「人に感謝してもらえる」ことを「糧」に日々取り組んでいました。もちろん、金銭的なバックアップも必要です。ただ、それを少し横において、人に感謝してもらえる=アプリシエーションという通貨が、基本的に彼らの中にはあるのです。

スリランカでは、紅茶をお客様に出す時は、おもてなしの気持ちを砂糖の量で表すそうです。きっと、扉を開けてみれば、そのとびっきりの甘さを、いつかスリランカの活動地で体験できるはずです。

アプカスがNPO法人として認可されてから、そろそろ一年を迎えつつ今に、ぜひ皆様方のご参加を「いつか味わう甘い紅茶」と共に、お待ちしています(伊藤)

もっと人をつないでいけたら

2008.11.16

今回のスリランカ滞在でも、空き時間の中で、今後の資金面やネットワークの可能性について、様々なリサーチと関係者との話し合いを行いました。まだアイデアだけで、箇条書きの段階ではありますが、ご紹介します。きっと、皆様方のご協力やご助言・紹介によって、きっと形になっていくはずです。ぜひ、ご参加ください。
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・NDFが取り組むゴム農家が生産する天然ゴムシートのフェアトレードへ向けたサポート
・麻製小物やバッグ・バナナペーパー販売のマーケットリサーチ・営業
 (エコフレンドリー商品の日本への紹介あるいはフェアトレードの可能性)
・麻製品・バナナペーパーのデザイン・商品開発
・スリランカ国内での、電化製品やコスメ商品の販売の可能性?
・日本国内での、スリランカ雑貨、食料品、香辛料・・・・など販売の可能性?
・スリランカ国内でのエコツアーの開催?

また、
・ヌワラエリヤ県での酪農技術の向上
・ボルゴダ湖周辺のおが屑問題
・生計向上のための以下のトレーニング
 (農業、食品加工、大工、裁縫、工芸品、個人商店経営などの職業訓練)
・英語による申請書翻訳業務
・コンピュータ教育普及
・イラストレーターやDreamWeaverによるパートナーNGOのデザイン業務


ゾウと人と・・・・

2008.11.10

P1020189.JPG ゾウの孤児院にいるゾウが、夕方に、施設に戻る。その行進のため道路を横切るシーンを車から見る。

通行止めの車から、この国でゾウがいかに大切にされているかを思い知る。

それぞれのゾウには、きちんとそれぞれのドナーがついているという。

this is 4 you.

2008.11.10

PB121213.JPG移動は、すっかり、スリーウィラー。乗る前の交渉もだんだんわかってきました。
市内の大通りを通行中、」横を見ると、大人2人と子ども2人が一台のバイクに・・・・急いで、カメラを取り出すも、バイクは、車の間をスルスル抜けて、前方へ。

こっちもスリーウィラーに運転手と乗客で4人、前のバイクも4人。

日本で自家用車で移動する時も後部座席を使うことなどほとんどありませんよね(伊藤)

where do they live and study?

2008.11.10

P1020122.JPG地すべり避難キャンプから、ハングランケタ郡ジョンスランド地区に移り住んだ家にお招きいただきました。我々が、経験したこの写真の背景を少し説明すると・・・・

「もう、すでに夕刻。ビニールシートの壁に土の床。
突然雨が降り出した。屋根のトタンに大粒の雨があたる。
家には、ひとつだけ明かりがある。
携帯用の蛍光灯照明。
電気が供給されていないので、昼間にソーラーパネルで充電し、この照明に使うという。
明るいお母さんとまだ幼い子どもが、照れくさそうに微笑みかけてくる。
おいしいバナナと甘い紅茶をごちそうになる。
紅茶の甘さは、歓迎のしるし。
甘ければ、甘いほど、とびっきりの歓迎を意味するらしい。
そんな中、少女が、明かりの横で、勉強を始めた。
外はすっかり夜になっていた」

こんな感じでしょうか。
もちろん、彼らの生活は、難民キャンプに比べたら、よくなっているとのことですが、ただ、この地区には、安定的な水源がないことが、こんなおもてなしを頂いた中で、頭の中をよぎります。
それでも、限りある予算の中で、何ができるのか、これからも住民の方々と共に考えていこうと思う瞬間でした(伊藤)

適正技術は、そこにある

2008.11.9

PB070929.JPG スリランカでは、気軽な移動手段として、スリーウィラー(三輪自動車)を使います。日本でいう原動機付き自転車くらいのエンジン音で、車であふれるスリランカ都市部を颯爽と縫うように走り抜けます。
だいぶ、三輪自動車にも慣れ始めた、ある日。乗っていた三輪自動車がストップ。運転手が走り出し、路上の木の葉をジャンプで1枚もぎ取りました。

いったい何が?

運転手は走って、自動車後部に戻り・・・・どうやら、ガソリン切れ。
車に積んであったペットボトルに入っている燃料を入れるための「漏斗」として使うちょうどよい「木の葉」をジャンプ一番、手に入れたようです。

お客さんを乗せて給油も去ることながら(日本で、タクシーがガス欠することがありませんねぇ)、木の葉を使うとは・・・・「現地の人々が、維持できる技術を移転せよ」と社会開発の教科書に載っているものの、このような適正な技術があるのだな・・・と

給油の運転手を写真で熱心に撮る三人の日本人。とても目立っていたことでしょう。現地の人々が、当り前のこと。そこにこそ、「適正な技術」のヒントがあるのでしょう。

人々と生きる人々が、帰る場所?

2008.11.8

PB091062.JPG薄暗い部屋に、窓2つ。
これは、ワラパネの地滑り被災地を訪問した際のワラパネ現地事務所です。

6畳の部屋に1つの机と2つのベッドがきゅうきゅうに置かれています。石川が現地に入る時は、たまに間借りし、3人で寝ることもあるとのこと。ちなみにですが、となりにカーテンで仕切られた部屋がありますが、別の人の住居。他の人との住居を通り、この部屋に入ります。

左側は、チャンダナ君。現地スタッフです。
この部屋でのお決まりギャグは、「ぼくらの方も、支援されたいね」とのこと。ただ、ごはんつきの下宿タイプ。独身男性にはありがたいようです。

がんばれ。チャンダナ君。地すべり被災地で住民とのかけ橋のため、現場に通い炎天下の下汗をかいてくれる・・・・そんな君に、感謝感謝。
ちなみにチャンダナ君の今の楽しみは、次の休みに彼女に会いに行くことなのだそうです。やはり、そこは国に違いはないのかもしれません(伊藤)

where they talk about their love?

2008.11.7

P1020170.JPGキャンディへ向かう途中に、ぺラデニア大学の植物園に立ち寄りました。

スリランカ随一を誇る植物の多さと、これが正確な表現かどうかわかりませんが、基本的に、樹木が大きいという印象を受けました。また、こうもりが枝にぶら下がっている様子を初めて目撃しました(あまり、気持のよいものではありませんでしたが)。

それは、そうと、生態学を専門とするスタッフの愛子さんを別にして、なんとなく私が気になったのは、植物園にいるカップルの多さ。話によると、スリランカは、他に娯楽施設がないため、こぞってカップルが植物園に来場し、愛を語らうわけです。

「ピッー!ピッー!ピッー!」
笛を吹く音が、ひっきりなしに、至る所から、聞こえてきます。
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どうやら、この「愛を語らうことから、エスカレートし、いちゃつき気味と思われる」カップルに離れるように警告する警備員と警告ホイッスルらしいのです。
仏教の影響なのでしょうか・・・ね。

辺りには、棒を片手に巡回しながらホイッスルを吹く警備員が多数。笛の数だけ、愛があるといったところでしょうか。ぜひ、今度インタビューしてみたいと思います。

外国人は、600円ほど入園料(現地の人々は30円ほどだったような記憶があります)がかかりますが、この一部は、風紀を乱れを許さないホイッスル警備員の方々の給与になっているわけですね(笑)(伊藤)

ガニー

2008.11.5

PB060885.JPG 初日は、先日の日比谷で開催されたグローバルフェスタに出展した際に、ハンドメイドの麻バッグや小物入れを販売したサマンタと今後について話し合いました。

サマンタと石川君とは旧知の仲。その出会いも、偶然の産物。石川君が地方の市役所に頼まれ、断れずに出席した展示会を見にきたサマンタと・・・・というのが、始まり。

表情豊かで、明るい性格のサマンタ。一児の父でもあるアーティスト。ギターもCDを発売した(?)というほどの腕前。多才ですね。そのCDをもらいましたが、まだ聴いていません。

実は、麻で作った小物の数々が、奥様を射止めた、2人をつなぐものだったそうです。だから、ガニーの麻製品は、家族にとっても、繋がりの根源ともいえる、とても重要なものなのです。

石田さんが、厳選に厳選を重ね、サマンタへお土産として買ってきた江戸時代の紋様などに興味津津の様子。今後の作品への新たな原動力になってくれれば最高です。
「私は、麻製品を作り続けていきます」と決意のこもったサマンタの言葉と表情は、なんか忘れられない思い出になりました。こんな出会いもあるわけです(伊藤)

ガラスの再利用in Sri Lanka

2008.11.05

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こういう再利用法あったのかと、滞在先の裏庭の壁を眺めながら・・・・機能性とデザイン性、そして、エコロジカル。(ito)

漁業

2008.09.10

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海に囲まれているスリランカでは、漁業もよく行われています。
カヌーの様な舟で何人かの人力で漕ぎ出していくのや、海岸でたくさんの男手で地引網をひいているのを見たりします。
びっくりしたのは岸からそう遠くない沖あいに棒が立っていて、その棒にひとりつかまって、釣り糸を垂れる漁師さんがいたこと。
一本釣り??疲れないのか?どうやってあそこまで行くんだ?そして釣れるのか?、、、 (setsuko)

ホテル?

2008.09.05

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イギリス領だったスリランカでは、お店の看板はたいてい英語。
でも、HOTELと看板を掲げている店がなぜか普通のレストラン(というか大衆食堂)なのです。
なかにはテーブルのある部屋とお手洗いの間に狭いベットのみポツン、とある部屋が1つ2つ、とあるレストランもあるから?
いずれにせよ、HOTELの文字の下でガヤガヤと食事をする人々を見るのは、ちょっと不思議です。 (setsuko)

ワニとヒト

2008.08.17

先日、コロンボから南に約4時間のマータラ県に行ってきた。
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マータラの街から内陸に1時間ほど入った村にお邪魔したのが、そこには、スリランカの農村風景が広がっていた。実りの時期を迎えた田んぼは
鮮やかな黄金色に覆われている。そして、収穫をし、脱穀をする人びとも目に付く。
あぜ道を、洗濯物を抱えて水浴びをしに行く親子の姿も見かける。
スリランカでは川や農業用水路で洗濯や水浴びをするのが普通であるのだが、その村ではちょっと様子が違う。人びとが水浴びをしているのは普通だが、その周りにフェンスが張られているのである。のびのびと水浴びを楽しむ様子ではないのだ。なんで、フェンスなんてしてあるのかと聞いてみると原因はワニとのこと。昨年、50代の女性が水浴び中にワニに襲われて亡くなってしまったのだ。その他にも、水辺にいた家畜が襲われるという被害も出ているとのこと。そんな訳で、フェンスの中で水浴びをしるしかなくなったとの事であった。

ワニは確認されているだけでも20匹ほど生息していて、洪水が起こると家のすぐ近くにまで来るらしい。自然と人の共生って難しいのだと思う。ワニからすれば自分の生息地を荒らしているのは人間かもしれない。

人からすればワニは非常に厄介な動物である。たまには、人間がフェンスの中にいて自由を制限されるのもよい事となのかも知れないと不謹慎ながらに思ってしまった。(ishikawa)

「私、シンハラ語話せません・・・」

2008.08.13

先日、ヌワラエリヤ県の地滑り被災地に行ってきた。片道約5時間の移動だ。
地滑り被災地にはいわゆる『ゲストハウス』というものがなく、現地スタッフが間借りしている部屋に無理やり泊まりこむのが常となっている。以前は、2つ部屋があり無理すれば5人くらい泊まれたのだが、いつの間にか、2つ目の部屋は別な人に貸されてしまい使える部屋は1つになってしまった。借りる時には「2つの部屋を借してくれる」と大家と話したらしいのだが、この辺が適当に変わってしまうのも"スリランカ"なのかも知れない。そのため、今は3人泊まるのが精一杯・・・。という事は、現地スタッフ1名の他に2名しか泊まれないという事だ。

そんな問題もあり、地滑り被災地に行くときは、ドライバーを連れて行かないで、自分達で運転する事が多い。今回もそんなわけで、代わる代わる運転しながら帰ってくる途中、セキュリティーチェックポイントで警察に車が止められた。
運転していたのは私。
警察は、車に寄って来てお決まりの質問を投げかける。

「どこに行ったのか?「どこから来たのか?」「車に何が積んであるのか?」・・・。
大体、こういう時には、「私、シンハラ語話せません」という事にしている。

もしも、現地語が話せると分かると質問が更に増える。
「どうやってシンハラ語を勉強したの?」
「どこに住んでいる?」「日本に行くのは難しいのか?」
と、警備とは関係ない質問のオンパレードとなる可能性が大なのである。というわけで、その時も、シンハラ語は分からないということで演技を通した。

チェックポイントで車を止められると、ドライバーは降りて、免許証・車検証・保険証などを見せる必要がある。そして、車のナンバーや色、形を警察に申告し、彼らはそれをノートに書き取るのである。ところが、私はシンハラ語ができないふりをしていたので、対応した警察も「ライセンス?」と英語で質問した以外は、黙って上記の情報を全部1人でチェックしてノートに書き取ってくれた。ウソをつくのは良くないかもしれないが、時にはそんなウソも役に立つ!?ただ、いつでも現地語を知らないふりをしているのが
良いと言うことではない。現地語を話せた方が、問題がこじれないで済むこともある。

何事もバランスと瞬時の判断が必要である。(ishikawa)

犬も迷惑!?南アジア首脳会議

2008.07.31

現在スリランカでは『南アジア首脳会議』が開催されている。

各国の首相が来るという事で、厳しい警備体制となっている。
ただでさえ、反政府軍による攻撃を警戒して厳しい警備が敷かれているが、通行止めの箇所が増えたり、街の中に許可証がないと入れなくなったりと日常生活に支障をきたすほどの警備である。そんな中、被害を被っているのは人間だけではない。

スリランカは、野良犬が非常に多いのだが、そんな犬たちにも強制退去命令が・・・。
大きな網を片手に犬たちを追い回す関係者。そんな映像がニュースで流れていた。まさか、各国首脳に噛み付く犬がいるとは思えないし、そんな隙もないだろう。
野良犬がいると街が汚く見えるからか??
捕まえられた犬は殺される事はないとは思うが、果たしてどこに連れて行かれたのか?

首脳会議の内容よりも、そんなことが気になった今日一日だった。(ishikawa)

ふたたび・・・

2008.07.12

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今回は、成田-香港-シンガポール-コロンボのルート。約16時間の旅。

夜11時到着。最近とてもきれいになったスリランカの飛行場。
小さいから迷わないし、時間もかからず空港内の移動ができて個人的には好きだ。入国審査&関税も問題なく通過。今回は、GPSを持っていたので、もしチェックされたらどうしようかと少しビクビクしながら税関を通過。内戦を続けているこの国では、GPSの使用も制限されている。
(高性能のものに限っての規制という話もあるが)

さて、一歩外にでると生暖かい空気の中、現地の言葉が飛び交う。
「あ~スリランカだな~」と思う瞬間である。
そして、車に乗り込み34キロ南のコロンボを目指す。途中、なんと全車両を検問するという珍しい事に遭遇し、(抜き打ちの検問は何度もあるが)おかげで大渋滞・・・。
通常、45分で到着するところ、2時間もかけてコロンボに到着。
突然の検問。そして大渋滞。2車線道路が気がつけば4車線に!?交通マナーが悪いのもこの国では当たり前。このときも、「あ~スリランカだな~」と思う瞬間だ。(ishikawa)

フルーツ天国

2008.05.05

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果物好きにはたまらん、フルーツ天国です。
一年中パパイヤ、マンゴー、パイナップル、ランブータン、マンゴスチン、ドリアン、ぶどう、アボガド、色々な種類の(味が違う)バナナなどが食べられます。
皆の家にはバナナやドリアンがあって、ドリアンを食べた事がない、と言った私の為に庭から採ってきて食べさせてくれた知人もいます。
また、車道沿いに10メートル間隔で果物屋台がたっている所もあり、その季節のもの1種類だけで勝負!なので、
どの店もランブータンの季節にはランブータンだけ、なのですが。それを買って食べながらのドライブもまた楽し、なのです。(setsuko)

牛、犬、やぎ

2008.05.05

ushi.jpgアヌラーダプラでは街なかの、いたる所に牛がいます。皆ちゃんと飼われている乳牛で、放し飼い!?
耳にタグをつけていたり、マジックで胴体に大きく名前が書いてあるので、捕って食べられたりはしないそうですが。
車のロータリーにも牛、夜道にも眼が光る牛の群れ、車道は牛優先、、、?その群れにやぎが混じっている事も。
外で勝手に草を食べて帰ってくるとは、飼い主はラクかも。
また、のら犬も多いです。人と犬は互いに干渉することなく、外にだしておいてもらうエサを食べ、気ままに走りまわっているようです。
暑い日中に一心に車道を走っていく犬、車道ぎりぎりで眠りこけている犬。

牛、犬、やぎ

2008.05.04

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日本に居る時には、紅茶に砂糖をいれないで飲むのですが、スリランカに居る時は砂糖いっぱいの甘いミルクティーを飲みます。
暑い国で疲れた時や、辛いカレーの後に、とてもおいしく感じます。
茶葉はダストという細かいものを使っていて、スーパーの安いものでも、おいしいのです。
シェーンベアー直伝のおいしいミルクティーのいれ方です

1. 沸かす湯がぬるい状態で、茶葉と生姜一片(包丁の背で叩きつぶしたもの)を入れる
2. 沸いて葉が開いたら、牛乳を湯の同量か多めに入れる
3. 泡が出て沸いたら火を止め、(ふきこぼれやすいので注意)茶漉しでこしてカップに。

先日久しぶりにモラトゥワの被災地を訪れた。モラトゥワは被災直後われわれがボランティア活動を行なっていたところである。すでに一ヶ月の時が経過していたのだが、なんだかつい最近まで通っていた錯覚におちいった。次々と懐かしい顔を見つけた。中にはこちらが覚えていなくとも向こうから声をかけてくる人もいた。

独立記念日

2005.02.04

以前と比べるととても活気が戻ってきているように感じる。その一つの理由は子どもにあるように思う。だんぜんに子どもの数が多い。いたるところに子どもがいて、子どもの世話におわれる親達がいて・・・。以前は完全に瓦礫の山だったため子どもや母親の多くは避難所にいたようである。今少しずつ被災地域に戻ってきている家族が多い。掘っ立て小屋みたいな家、半分残っている壁を利用してシートを屋根代わりにしている家などで暮らしている。

以前この通信に登場したニハルおじさんの家も壊れかけた以前の壁を利用して、板切れを張り合わせた『小屋』だった。奥さんと子ども二人がそこで生活している。「いつ崩れるか分からないから寝るときは外なんだ」と彼は言う。なんだかとても大変な状況下にいるのに彼と話しているとそういう感じを受けない。

彼は漁師であると以前も書いた。もう漁も再開しているとのこと。「今日はこんなでかいサメを捕まえたんだ」と大きく手を広げにこやかに語ってくれた。仕事があるから収入もある。家はひどい状況だけど何とか食べていく事は出来る。家族もいて、仕事もあることが彼の『やる気』を継続させているのだろうか?それだけではないような気がする。彼の中にある『プライド』が大きいのではないだろうか。同じ状況下にいても『モノ』をもらう事に懸命な人もいる。

家が無い、家族を失った・・・色々な状況があり、色々な理由がある。被災者に向かって「強く生きろ!」なんて言えるわけがない・・・。 しかし、時間がかかるにせよいつか必ず自分の足で立ち上がるしかないと思う。周りの人々(関係機関)は、被災者が立ち上がるための助けをするべきであり、彼らのやる気を消すような援助は早く止めるべきである。

今日は2月4日。スリランカのIndependence Dayである。 『Dependence』ではなく『Independence』への方向へ進む事を願いつつ。

写真追加しました。↓子どもたちの笑顔からは私も力をもらっている気がします。

過去の記事より GMSLとのスマトラ沖津波後の出会い

2005.01

皆様へ                     2005年1月15日

     石川直人

スマトラ島沖地震によるスリランカの被災者への義援金のお願い

前略

インドネシアのスマトラ島沖で12月26日朝発生したマグニチュード9.0の地震により、津波が発生し、インドネシア、スリランカ、タイ、インド、モルディブ、ソマリアなどの沿岸地域が破壊されました。スリランカでは、西部の一部海岸を除き多くの海岸地域に甚大なる被害をもたらしています。いまだ正確な死傷者数は分かりませんが、現時点で死者3万人を越えています。行方不明者の数もまだ不明です。約3週間が過ぎた現在、家族を亡くした、家や仕事、財産をなくした多くの人々が希望も持てず不安な時を過ごしています。

被災者の方々が一日も早く希望を持ち歩む事が出来るよう、義援金を募りたいと思います。

集められた義援金は、スリランカのNGOであるGreen Movement(グリーン ムーブメント)を通し、被災者の支援・復興のために使われます。(このNGO団体について、また何故この団体を通すかについては、下記に記しました)。

皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。

草々

口座名義:スリランカの被災者を支える会(※アプカスの前身である任意団体)

Green Movementとは?  http://www.greensl.net/index.html (ホームページ)

Green Movementは1998年3月に始まったスリランカ人のNGOである。現在9人の常勤スタッフ、20人のボランティアスタッフで運営されている。

『グリーンムーブメントでは、天然資源を基にした持続可能なコミュニティーの発展を目指している。社会的責任と文化への尊敬を基本として行なわれる活動であり、特に弱い人々注と共に行なわれる活動である。それを通し環境保全が進みまた、生活の発展を目指す。また、世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機構、多国籍企業などにより行なわれる『気前のよい』開発という名の搾取から、動植物などの豊かな自然や人々の権利を守る事が我々の目的である。』

(ホームページより抜粋)

注:権利があるにもかかわらず、それを獲得する事が出来ない・難しい人々

なぜ「Green Movement」を通して援助を考えているのか?

【1】、箇条書きで

①私は、以前より交流があり彼らの活動趣旨を理解している

②ローカルNGOであるため、地元の地域住民との日常的な交流がありより効果的な活動が可能である

③ローカルNGO(スリランカ人の組織による)であるため、文化的背景などをより理解しているので、様々な配慮ができる

④災害救援・復興プログラムの柱に『特に弱い立場の人への支援』というのがある

⑤ローカルNGOではあるが、国際的な会議への出席など、国際的にも認められており多角的な視野をもっている

⑥環境系のNGOであり、復興プログラムを行う際環境保全(持続可能な発展)への配慮も可能である

⑦マネージメント能力がある

【2】、その思いについて

  <グリーンムーブメントを知ったきっかけ>

普段私は、北中部州政府において環境オフィサーとして活動しています(青年海外協力隊)。学校での啓蒙活動、市町村の廃棄物管理の改善などを行なっています。グリーンムーブメントは、環境系のNGOなので色々と情報を得る事が出来るのではと、先輩隊員に紹介をされてから2年の時が過ぎました。その間、ワークショップの講師を依頼したり、色々な情報を提供して頂いたりなど、交流をしています。決して大きなNGOではありませんが、ネットワークは広範に渡りスリランカ中で活動を展開しています。環境破壊などが進んでいる地域にいち早く飛んで行き、法的措置を取るということも行っています。

 スリランカの文化に合った発展をするべきだというのが彼らの主張であり、『現地』の目線で物事を進めているという事をいつも感じます。また、2002年南アフリカで開催された環境サミットにも参加するなど、世界の動きにも注目して活動を進めているようです。

 <本当の援助ってどういうこと?>

彼らは、災害発生後、その日のうちに被災地の調査を始め、即座に臨時オフィスを開設   (北東部に5つ、南部・西部に4つ)し支援を始めました。彼らの支援の目標は「隔たりをうめる」(弱い人へ優先的に支援を行なう)であり、それに向けて、今回もボランティアスタッフ達がその足で情報を集めて来ました。幾つかの団体は政府発表の情報や他の団体の情報をそのまま使い報告書に使うこともあるようですが、それでは本当に必要とされている所へ支援することは困難です。

彼らの足で集められた情報はコロンボのオフィスに送られ、その情報の下で救援物資などが配送されていきます。また、現場に多数のボランティアを送り、被災地の瓦礫・ゴミ等の除去作業も行なっています。

 現在は、子ども達が早く学校へ復帰できるようにと、学校の建物修復と全てを失ってしまった子ども達へ配布する文房具、靴などの準備をしています。

上記したように、彼らはできる限り『弱い人』妊婦、乳児、お年寄り、障害を持っている人、差別を受けている人…などに届く支援を心がけています。この事が彼らに義援金を届けたいと思った最大の理由です。

<この国の人たちが主役であって欲しい>

現地のNGOが支援をする事で、他のスリランカ人も自国の事を見直すのではないかと思います。何かあれば、外国からの援助がきて何とかしてくれると思っている人も多いと思いますが、NGOの活動を通してそんな人々の気持ちが少しでも変化するのではないでしょうか。他の国からの援助が必要無いと言っているのではありません。全ての人が協力していち早く復興へと向かう事を願うのは言うまでもありません。ただ、この国の人が主役であって欲しいのです。

 被災地に行っていると救援物資を配っている場面に出くわす事がありますが、本当に、疲れきっている人は物資を運ぶ車が入れるところまで取りに来られるのか?物資が来る事を知っているのか?と疑問に感じることも多々あります。平等に支援するのは難しいけれど、せめて救援物資が被災者同士の争いの種や、自立心・自尊心を壊すきっかけとならないよう願います。

<まずは目の前のできることから>

さて、私は今スリランカにいるからこの国の事が気になり、他の被災国の事をあまり考えられません。全ての事を平等に考えることは人間にとって不可能なことかもしれません。スリランカよりはるかに死傷者の多いインドネシアのこと、それぞれの国で亡くなったり、怪我をしたりした母国の人のことなど…。

私はスリランカに思いを寄せるだけで精一杯かもしれません。でも私の考えが及ばない所に思いを寄せている方もいらっしゃると思います。それぞれの方がそれぞれの方法で困っている人々と関わりが持てたら素晴らしいと思います。そうすることで、きっと希望を取り戻す人が増えるのだと私は信じています。

 勿論、私を通してGreen Movementに義援金を送っていただかなくても、もっと他の方法がある方は是非その事をして下さい。

最終的に、悲しみにくれる人が少しでも少なくなる事を祈りつつ。

石川 直人記

過去の記事より スマトラ沖津波後④

2005.01

_NowPrinting.jpg被災地の状況は刻一刻と変化している。ゴールロード(南西海岸を走るメインの道路)沿いの景色も明らかに変わってきた。以前は、ただ瓦礫の山であったが、少しずつ瓦礫は片付けられ、その場所にテントを張る人が増えてきた。また小さな掘っ立て小屋も増えているようにみえた。この掘っ立て小屋は不思議な事にとても小さく当然寝る事なんて出来ない、一畳分もあるか分からない掘っ立て小屋を何故人々は作るのか?少し考えないと答えが出なかった・・・。掘っ立て小屋には細長い椅子がありそこに何人かの人が座っている。車が少し速度を落とそうものなら、すかさずそばによって来る。要するに掘っ立て小屋は、『救援物資』が来ないかどうかの『見張り台』であったのだ。

マータラ(コロンボから160キロ南の街)を訪れてNGOのスタッフと少し話をした。臨時のオフィスという事で、出してくれた紅茶もプラスチックのカップに入っている。しょうが入りの紅茶を飲みながらスタッフの話に耳を傾けた。
その時3人のスタッフがいたのだが、みんなが次から次へと話をしてくる。時には3人が同時に話をする。この短期間の間に彼らは本当に様々な事を見聞きし、感じて、それを誰かに伝えたいと言う思いが非常に感じられる。当然私には語学の壁があるため、彼らの言っている言葉を全て理解するのは難しいが、残りの部分は感覚で感じ取るしかない。普段であれば、「その単語の意味は何?」という質問をするのだが、彼らがあまりにも懸命に話すのでその迫力に押されてその質問は出来ないのが現状である。そんな話の中で、本当に驚く事を聞いた。
ある被災地域に行ったとき、被災者の一人が彼らにあびせた言葉が「ある物おいて帰れ!」であったそうだ。はじめ私は自分の耳を疑った。再度聞きなおしても同じ言葉であった。

帰り我々の前を一台のワゴンが走っていた。時折彼らの車の窓から何かが投げられているのに気がついた。投げていたものは小さなノート。子ども達を見つけてはそのノートを窓から投げているのである。時には車の速度を落とし、近くにいる子どもたちにノートを見せて子どもを集めたからノートを投げる。子どもたちにノートが必要か現段階では必要ないのか全く聞く事もなく、一方的に与えているのである。「動物に餌をやっているのではない・・・。」

3つばかり例を出させてもらったが、援助する方、される方双方に問題があるのであろう。現場にほとんど行かない私にもこれだけの事が見えてくるのだから、実際の現場ではこれよりはるかに多い『事実』があるのであろう・・・。『援助依存症候群』に陥ったら一体どうやって復興なんてするのだろうか?

我々の支援が『援助依存症候群』患者を増やしているとしたら、我々はどうすべきなのか?『援助中毒』になる前に何とか手を打たなくてはならない・・・。(ishikawa)

過去の記事より スマトラ沖津波後③

2005.01

_NowPrinting.jpg
甘い紅茶を片手にパソコンに向かっている。 23時を過ぎたと言うのに部屋の気温はまだ30度を下回っていない。一年で一番暑い時期だけあって本当に厳しい暑さが夜まで続いている。

私の住んでいるところでは最近ぜんぜん雨が降っていないが、南の方では、毎日夕立が降っているようである。
一昨日行った避難所であるテントの中に入れてもらったのだが、予想以上な暑い空気にびっくりしてしまった。ここはサウナか??立っていると頭がボーとしてくるほどである、座ると多少の時間ならいられるという感じだが、どちらにしろ、長時間いることが苦痛であるのは確かである。そんなテントの中で小さな子どもを相手にしているお母さんたちはどんなに大変だろうか・・・。

夕方の雨で多少気温が下がるものの、今度は雨漏りの対応に追われる。ひどいところでは、床上浸水状態になるとの事であった。自分の『家(空間)』にいたくてもいられないということは本当に大変な事である。

今回行ったウェリガマの避難所の人々はすでに3回も引越しをしているとの事。そして近々また別な所へ引っ越す予定があるとか・・・。政府に何の計画もない事が非常にはっきり現れている。 NGOのスタッフもその事が一番の問題だと指摘していた。規模が大きいので当然主導権を握るのは政府であるのだが、彼らがちゃんとした計画を示し、土地を確保して、どれだけの家が必要かという事をはっきりさせればNGOレベルでかなりの仕事が出来る。

3ヶ月の時が過ぎたのに未だテント暮らしの人がいる事を仕方ないと見るか?家が建っていないこと自体は仕方ないとしても、計画すらないと言うのは政府の怠慢のように思える。 3ヶ月たった今でも新聞を見ていると、「どこそこからいくらの寄付金をもらった」という記事がある。

『そのお金を早く現場へ!』と思う日々である。(ishikawa)

過去の記事より スマトラ沖津波後②

2005.01

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多くのが学校が再開している。避難所として使われている学校がまだ多くあるが、一時的に他の学校へ生徒を送っている。完全に破壊された学校の建設はまだ始まっていないが、仮設の学校・一時的な統合で対応するようである。

学用品、制服、靴など全てを失った子ども達が多数いるが、その支援もスムーズに行なわれているとはいえない状況だ。私が行った多くの避難所で聞かされたのが「学校へ行く靴がない」「ノートがないから学校へ行けない」等である。被災後一ヶ月半もの時が過ぎているのにまだまだ末端の状況は変わらないままだ。

教育省は子ども達を通して被災状況の情報を集めようとしているらしい。学校単位でそのような情報を集める事は今後の支援活動を考えると非常に重要なことかもしれない。しかし、その情報の集め方に問題があるようだ。 NGO(グリーンムーブメント)のスタッフが、学用品の不足状況を調べにある学校へ行った時の事を話してくれた。

その地域では比較的被害も大きく、両親を亡くしたり、兄弟を亡くした子ども達が多数いた。当然、どの子の親が亡くなっているかなどは分からない。その情報を集めろと上からの命令を受けた先生は、子ども達を集め、「お父さん、お母さんがいない子はこっち!」「お父さんだけいない子はこっち!」「お母さんがいない子はこっち!」・・・・。と言ったそうだ。全く信じられない事である。普通の人でもそんな言い方はしないと思うが、教育者がそんな事を言おうとは・・・。要するに、簡単に情報を集めるやり方を先生達は選択したのであろう。子どもへの配慮のかけらもない。

NGOスタッフの話では、子ども達は平然と先生の言う事にしたがって動き特に泣き出したりする子はいなかったらしい。ただ、確実に子どもの心の中を乱した事であろう。そして、周りの子どもから「あの子のはお父さんも、お母さんもいないんだよ」と差別的に見られる可能性もある。 全ての事に通じて思う事、『もう少し考えて欲しい被災者の立場になって』と・・・。(ishikawa)

過去の記事より スマトラ沖津波後①

2004.12.26

_NowPrinting.jpg 皆さんいかがお過ごしでしょうか?
さて、ニュースでご存知の方も多いかと思いますが、インドネシア沖で起きた地震のため大規模な津波が発生しました。スリランカ時間の12月26日9時ごろ(日本の11時)一回目の津波が東海岸、南海岸を中心に発生しています。政府発表では3000人以上死亡。50万人以上が影響を受けていると言うことです。

クリスマス・年末休暇中と言うこともあり、多くの外国人が訪れていた地域(南、南東海岸)も被害を受けています。まだまだ、状況が明らかになってきていません。日本人の旅行客も多数いると言う情報もあります。

私のいる地域は、北中部(内陸部)であり、今回の津波の被害は全くありません。
ひとまず無事と言う報告までに。 ご心配頂いた方ありがとうございます。
また詳しくは情報が入り次第お送りします。(ishikawa)

共同執筆メンバー

石川 直人

アプカス スリランカオフィス コーディネーター

スリランカ生活、はや7年。
山登り、旅行、パソコンいじりが趣味。
好きな食べ物は、メカブや納豆といったネバネバ系の和食ですが、基本的にはなんでも好き嫌いなく食べれます。

ビーチサンダルと鳴りっぱなしの2台の携帯電話でスリランカ中に出没しています。

ishikawa@apcas.jpn.org

伊藤 俊介

アプカス 国内事務所コーディネーター

函館とスリランカを年に数回往復。寒さと暑さのギャップがいまだに慣れません。
趣味は、海外ドラマ、音楽鑑賞、アート鑑賞(特にサブカルチャーです)、あとは、スーパー巡りとパソコンいじり。

ito@apcas.jpn.org

井塚 摂子

アプカス デザイン担当スタッフ

南の島が大好きで、沖縄には毎年何回も行っています。
アプカスには、私の仕事であるイラストレーションで、何かお手伝いできればと思っています。
09年10月にアプカスの活動地を実際に目にし、何かが変わり始めました。また、子どもクラブでの絵描き青空教室が開催できたこともとてもよい経験になったと思います。

今は、アプカスの環境教育に関する絵本を製作しています。

i_setuko@apcas.jpn.org

ワジラ セネヴィラツナ

アプカス スリランカオフィス コーディネーター

私は ワジラ.セネヴィラツナと申します。28歳で、スリランカのキャンデイ に住んでいます。家族7人で母、父、姉が二人と兄が二人います。趣味はホッ ケーとクリケットで、学生の時からスポーツが大好きです。

皆さんとの協力をいつも期待しております。皆さんと友達になって、ぜひスリランカと日本について、色々話したいと思っています。いつでもメールください。

vagira@apcas.jpn.org

デーヴィカー・ヴィーラシンハ

アプカス スリランカオフィス コーディネーター

私はデーヴィカー・ヴィーラシンハと申します。スリランカのコッターワに住んでいます。サバラガムワ大学の卒業生で、専門は日本語でした。大学で日本文化、文学、文法、漢字などを勉強しました。卒業論文は「日本人とスリランカ人の間の異文化コミュニケーションによる摩擦」について書きました。

関西国際交流基金の奨学金で、一ヶ月の研修プログラムために、日本へ行ったことがあります。そのプログラムの中で日本文化を実際に体験しました。趣味は日本映画を見ることや音楽を聴くことや本を読むことなどです。時間があれば、よくバドミントをします。

せっかく学んだ日本語が使える仕事をするのが夢でした。その夢が今叶いました。次の夢はアプカスのメンバーとしてまた、スリランカ人として私の役割の責任を持って取り組むことです。そのために、私の知識や経験を活かしてみんなと協力して一緒に頑張るつもりです。また、人間としてみんなが満足できるような社会をつくるために活動をするつもりです。

日本のみなさん、ぜひいつでもメールください。

devika@apcas.jpn.org

災害復興支援活動(スリランカ)


LinkIconスマトラ沖地震にともなう被災者への支援プログラム(2005)

LinkIcon地滑り災害被災地におけるBHN充足に向けた支援(2007)

LinkIcon地滑り災害被災地における総合的支援~グリーンムーブメント・オブ・スリランカ協働事業~(2007)

LinkIcon地滑り被災者に対するBHNの充足と自立型復興促進のための自治組織力の強化(2008)

LinkIconハングランケタ郡地すべり被災民移転地における参加型水供給プログラム(2008)

LinkIcon津波移転住宅における家庭菜園導入によるゴミ問題の解決(2009)

LinkIcon地滑り被災者移転地区における住宅建設へのコンクリートブロック提供と自治組織の強化(2009)

LinkIconスリランカ北東部内戦避難民子ども支援プロジェクト~小さな笑顔プロジェクト~(2009)

LinkIcon地すべり被災地域における校舎建設と学校菜園運営を通した教育支援(2010)

LinkIcon地すべり移転地区における子どもクラブの運営(2010)

LinkIcon地すべり被災地における農業を中心とした総合的な生計向上支援(2010)

LinkIcon地すべり被災者への住宅資材の提供事業(2010)

LinkIcon北中部州洪水被災児童への学用品の緊急支援活動(2011)


災害復興支援活動(日本)


LinkIcon東日本大震災『緊急支援活動』(2011.03-05)

LinkIcon東日本大震災『復興支援活動』(2011.06-08)

LinkIcon大震災被災地へ物資を直接支援「あくしゅプロジェクト」(2011)

LinkIcon東日本大震災『中長期支援活動』(2011.08-2012.03)

LinkIcon東日本大震災『仮設住宅の住環境改善支援』(2012.04-2013.03)

LinkIcon東日本大震災『コミュニティ構築支援活動』(2012.04-2013.03)

LinkIcon東日本大震災『コミュニティ構築支援活動』(2013.04-2013.12)


地域開発事業


LinkIcon生計向上と地域の安定を目指した家庭菜園の普及活動(2007~)

LinkIcon農村地域のアトゥンゴダイシパタナ小学校校舎新築及び環境教育の普及(2008)

LinkIcon識字率向上へのチルドレン・ハッピー・プランinスリランカ~子どもが子どもに教える。そこから広がる大きな幸せの輪~(2008)

LinkIconゴミから紙を作る!エコロジカルペーパー・ワークショップによる環境教育プログラム(2008)

LinkIcon僻地農村貧困地区での分散型エネルギー普及の調査・建設プロジェクト(2008)

LinkIcon住民主体の森林再生~「貧困⇔森林破壊」負の連鎖を断ち切る~(2009)

LinkIcon干ばつ地域での女性に配慮したコミュニティ主導防災計画の立案(2009)

LinkIconおが屑の有効利用を通したモラトゥワ市ボルゴダ湖の自然環境保全(2009)

LinkIcon僻地農村の子どもへのコンピューター&インターネット技術の普及活動(2009)

LinkIcon僻地農村のティッサカニトゥ小学校修繕および菜園による栄養改善事業(2009)

LinkIconウィルガムワ郡の教育設備の整備および教育の重要性についての啓発事業(2009)

LinkIcon食料・平和の確保に資する家庭菜園&有機農業普及のための農業研修センターの設立(2009)

LinkIconスリランカ僻地における学校建設を通した教育支援事業(2009)

LinkIcon僻地・農村地域の学校における水供給と衛生概念向上支援~子どもの健康改善に向けて~(2009)

LinkIconスリランカ紛争及び津波被災地域における子どもの栄養改善とメンタルケアプログラム(2009)

LinkIconパルゴッラ幼稚園&図書館の新築プロジェクト(2010)

LinkIcon僻地・農村地域の学校における水供給と衛生概念向上支援~子どもの健康改善に向けて~(2010)

LinkIconおが屑の有効利用を通したモラトゥワ市・ボルゴダ湖の自然環境保全(2010)

LinkIcon水質の改善、水資源の有効利用を通した地域開発プロジェクト(2010)

LinkIconアプカスを通した直接支援スキーム「おんこ基金」プロジェクト(2010)

LinkIconスリランカと日本を結ぶアートクラフト開発プロジェクト(2010)

LinkIcon視覚障がい者のフットマッサージ師就職促進プロジェクト(2010)

LinkIconガルカダウェラ幼稚園新築プロジェクト(2010)

LinkIcon視覚障がい者雇用促進のためのマッサージサロンの運営(2011)

LinkIcon視力検査と視力矯正を通した子どもの健康増進と学習環境の整備(2011)

LinkIcon家庭菜園普及と農業組合および女性グループの組織強化支援(2011)

LinkIcon農業生産加工や省エネ商品の販売促進による生計向上支援活動(2011)

LinkIcon英語クラブと補講クラスの実施を通した学業支援活動(2011)

LinkIcon家畜飼育の導入による貧困削減と地域の平和促進(2012)

LinkIcon視覚障がい者雇用促進のためのマッサージサロンの運営(2012~)

LinkIcon乳牛飼育の導入と生乳販路確保による貧困削減(2013)


教育講演活動


LinkIconスリランカ・スタディツアー・コーディネート(2008)

LinkIcon北海道障害学研究会サポート活動(2008)

LinkIcon教育機関での国際協力に関する講演活動(2008)

LinkIconBOPビジネス及び社会起業に関するフィールド調査(2010)


情報の共有活動


LinkIcon現地パートナーNGO/シッダールタ チャイルド ディベロップメント ファンデーション(SCDF)